有楽町駅前、昭和の象徴が次々消滅! 旧そごう・阪急の面影は? 大再開発で変わる街、残る歌の記憶

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有楽町駅周辺は昭和の時代、関西系百貨店「そごう東京店」と「数寄屋橋阪急」が賑わいを見せていたが、再開発の波によりその姿は変わりつつある。今後も続く再開発において、過去の栄光を振り返りつつ、都市景観の進化とともに消えゆく百貨店の面影を探る。

変革を迎える百貨店業界

各地で再開発が進む有楽町。ビックカメラ有楽町店(旧そごう)とともに、回転レストランがシンボルだった東京交通会館、その右側にある消防署なども見納めとなる。手前の高架は今後遊歩道化される東京高速道路KK線(画像:若杉優貴)
各地で再開発が進む有楽町。ビックカメラ有楽町店(旧そごう)とともに、回転レストランがシンボルだった東京交通会館、その右側にある消防署なども見納めとなる。手前の高架は今後遊歩道化される東京高速道路KK線(画像:若杉優貴)

 有楽町マリオンには、数寄屋橋阪急の後継店舗である有楽町阪急も入っている。狭い敷地が原因で、有楽町そごうは経営再建時に最初に閉店したといわれている。その要因のひとつが、西武と阪急というふたつの大型デパートが繋がった有楽町マリオンの開業だった。

「有楽町で逢いましょう」は元々デパートを歌った曲であるため、歌碑が読売会館ではなくマリオンにあるのは納得できるかもしれない。しかし、有楽町阪急は2011(平成23)年にメンズ専門館「阪急メンズ東京」に業態転換し、さらに西武百貨店有楽町店も2010年に閉店(現在はルミネ有楽町が入っている)した。

 変化が激しい東京都心と日本のデパート業界。近い将来、有楽町そごうがあった建物も再開発で消えてしまうだろう。しかし、昭和のデパートを歌った名曲は、有楽町のアイデンティティとして今後も歌い継がれていくに違いない。

●参考文献
・佐藤洋一 ・武揚堂編集部(2007):「あの日の銀座: 昭和25年から30年代の思い出と・出会う」武揚堂.
・東京都都市整備局「有楽町駅周辺地区まちづくり」
・三菱地所「(仮称)丸の内3-1プロジェクト(国際ビル・帝劇ビル建替計画)始動

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