有楽町駅前、昭和の象徴が次々消滅! 旧そごう・阪急の面影は? 大再開発で変わる街、残る歌の記憶

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有楽町駅周辺は昭和の時代、関西系百貨店「そごう東京店」と「数寄屋橋阪急」が賑わいを見せていたが、再開発の波によりその姿は変わりつつある。今後も続く再開発において、過去の栄光を振り返りつつ、都市景観の進化とともに消えゆく百貨店の面影を探る。

有楽町再開発、約3.2haの大規模変革

「有楽町駅周辺地区まちづくり」再開発計画エリア図。東京都都市整備局「有楽町駅周辺地区まちづくり」対象敷地図に加筆(画像:若杉優貴)
「有楽町駅周辺地区まちづくり」再開発計画エリア図。東京都都市整備局「有楽町駅周辺地区まちづくり」対象敷地図に加筆(画像:若杉優貴)

 もともと有楽町の多くは江戸時代の大名屋敷跡を開発して作られた。明治時代に入ると、東京府庁を中心とした官庁街が形成され、昭和には劇場や新聞社、放送局が並ぶ「東京の文化発信基地」となった。

 その後も姿を変え続けてきた。現在も再開発が進む有楽町エリアでは、2023年10月に三菱地所が所有する1960年代のレトロビル「有楽町ビルヂング」や「新有楽町ビルヂング」が取り壊され、2025年2月には「国際ビルヂング/帝国劇場」が建て替えのために閉館するなど、変化が続いている。

 そのなかで、「有楽町駅周辺地区まちづくり計画」として大型再開発プロジェクトが始まった。2023年には再開発準備組合が設立された。再開発エリアは約3.2haにも及び、東京交通会館や東京イノベーションベース(旧・有楽町インフォス/東京スポーツセンター)などを含む。このプロジェクトはかなり大規模なものになるだろう。

 2025年春時点で新しい建物の規模や内容はまだ発表されていないが、都心の一等地に位置するため、オフィス主体になると予想される。さらに、「銀座空中回廊(仮称)」が隣接することから、誰もが快適に過ごせる複合施設になることが求められる。

 また、数寄屋橋阪急跡地の「東急プラザ銀座」も変化が激しい。開業当初は東急百貨店の売場「ヒンカリンカ」があったが、2021年には閉店。コロナ禍の影響もあり、その後も状況が変わった。

 2023年には東急不動産HDが東急プラザ銀座を三井住友トラスト・パナソニックファイナンスに売却し、その後も運営は続いているが、2025年4月には香港系の投資会社、ガウ・キャピタル・パートナーズが買収した。建物自体は当面残ると見られているが、近く「東急プラザ」としては閉館し、別の施設に生まれ変わる可能性が高い。

街角に残る消えた百貨店の痕跡

日比谷駅前にある「数寄屋橋ふれあい散歩」の案内標柱。ここには確かに「有楽町そごう」「数寄屋橋阪急」があったのだ(画像:若杉優貴)
日比谷駅前にある「数寄屋橋ふれあい散歩」の案内標柱。ここには確かに「有楽町そごう」「数寄屋橋阪急」があったのだ(画像:若杉優貴)

 変わりゆく街で消えたふたつの百貨店の面影を探して歩いていると、有楽町駅南側、東京メトロ日比谷駅A2出口前に「数寄屋橋ふれあい散歩」の案内標柱を見つけた。

 この標柱にある地図には「(有楽町)そごう」や「(数寄屋橋)阪急」、2005(平成17)年に閉館した「日比谷芸術座」の文字が記されている。

 また、1987(昭和62)年に完成した日比谷シャンテの表記もあり、恐らく1990年ごろに建てられたものだろう。

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