有楽町駅前、昭和の象徴が次々消滅! 旧そごう・阪急の面影は? 大再開発で変わる街、残る歌の記憶

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有楽町駅周辺は昭和の時代、関西系百貨店「そごう東京店」と「数寄屋橋阪急」が賑わいを見せていたが、再開発の波によりその姿は変わりつつある。今後も続く再開発において、過去の栄光を振り返りつつ、都市景観の進化とともに消えゆく百貨店の面影を探る。

駅名に刻まれた百貨店の記憶

 昭和の時代、JR有楽町駅前では2つの関西系百貨店がしのぎを削っていたことがあった。この景色も再開発で間もなく見納めに。有楽町マリオンより撮影(画像:若杉優貴)
昭和の時代、JR有楽町駅前では2つの関西系百貨店がしのぎを削っていたことがあった。この景色も再開発で間もなく見納めに。有楽町マリオンより撮影(画像:若杉優貴)

 かつて有楽町駅前の顔とされた百貨店「そごう東京店」(通称:有楽町そごう)は、1957年に開店した。同年に完成した「読売会館」への出店によって、有楽町駅には「そごう口」(現在の中央西口)という出口が新設された。

 当時そごうの隣には東京都庁があり、その職員や来庁者にも親しまれていた。しかし、店舗は狭い三角地に建っていたため、増改築が困難だった。この構造上の制約もあり、2000年のそごう経営再建時には真っ先に閉店が決まった。

 そごうが入っていた読売会館は、築65年を超えて今も現存している。2001(平成13)年からは「ビックカメラ有楽町店」が核店舗となった。建物は緩やかな孤を描く外観が特徴で、テレビCMやメディアでも頻繁に取り上げられてきた。多くの人が一度は目にしたことがあるはずだ。

 この読売会館を設計したのは、建築家・村野藤吾である。ガラスブロックを使った印象的なファサードは、現在も有楽町駅の利用客を出迎えている。なお、同様の意匠は日本橋髙島屋本館の増築部分にも見られる。両建物を見比べると、村野建築の美意識が際立つ。

細部に息づく百貨店の名残

名建築家・村野藤吾氏が手掛けた旧・有楽町そごう。現在はビックカメラ有楽町店だが近く再開発で姿を消してしまう予定。店内に残る吹き抜けや孤を描く階段は百貨店時代の名残だ。同様の意匠はホール部分にも残されている(画像:若杉優貴)
名建築家・村野藤吾氏が手掛けた旧・有楽町そごう。現在はビックカメラ有楽町店だが近く再開発で姿を消してしまう予定。店内に残る吹き抜けや孤を描く階段は百貨店時代の名残だ。同様の意匠はホール部分にも残されている(画像:若杉優貴)

 ビックカメラとなった読売会館の売場には、有楽町そごう時代の面影はあまり残っていない。ただし、かつて化粧品売場などがあった1階には、村野藤吾が好んだとされる緩やかなカーブの階段と吹き抜けが残る。

 また、金色のエレベーターやエスカレーターなど、細部には「百貨店らしさ」を感じさせる意匠が随所に残されている。注意深く見れば、往時の華やかさが偲ばれる。

 さらに、館内7階から9階にある「有楽町よみうりホール」は、そごう時代から営業を続けている。内部は大きく変わらず、当時の姿をいまも保っている。

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