有楽町駅前、昭和の象徴が次々消滅! 旧そごう・阪急の面影は? 大再開発で変わる街、残る歌の記憶

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有楽町駅周辺は昭和の時代、関西系百貨店「そごう東京店」と「数寄屋橋阪急」が賑わいを見せていたが、再開発の波によりその姿は変わりつつある。今後も続く再開発において、過去の栄光を振り返りつつ、都市景観の進化とともに消えゆく百貨店の面影を探る。

1957年の大ヒットが生んだ街の象徴

有楽町マリオンのエントランス前の植え込みにある「有楽町で逢いましょう」の歌碑。「地域のレガシー」ではあるものの、碑に気付く人は殆どいない(画像:若杉優貴)
有楽町マリオンのエントランス前の植え込みにある「有楽町で逢いましょう」の歌碑。「地域のレガシー」ではあるものの、碑に気付く人は殆どいない(画像:若杉優貴)

 有楽町そごうが遺した最大のレガシーは、開店時に流れたキャンペーンソング「有楽町で逢いましょう」だろう。

 そごうは1830(天保元)年に大阪で創業した老舗百貨店だが、1950年代には大阪心斎橋(2009年閉店)と神戸三宮(2019年閉店)のみの関西のローカル百貨店だった。首都圏進出に合わせて行った宣伝活動の一環として生まれたのが「有楽町で逢いましょう」というフレーズだ。

 1957年4月、そごう提供のテレビ番組が放送され、7月にはフランク永井が歌う同名のキャンペーンソングが発売された。この曲は1957年の大ヒットとなり、やがて「有楽町のご当地ソング」として定着した。今では、この歌が「そごうのキャンペーンソングだった」と知る人は少ないだろう。ちなみに、有楽町そごうの開店日は歌に描かれた通り、雨模様だったという。

 その後、そごうは1990年代に40店舗以上を展開する国内最大手の百貨店に成長した。しかし、経営再建の一環で、有楽町そごうは2000年9月に閉店。さらに、同年12月には錦糸町の「錦糸町そごう」も閉店し、東京23区から姿を消した。

 実は、有楽町には「有楽町で逢いましょう」の歌碑が設置されている。その場所は、読売会館近くではなく、線路を挟んで銀座寄り。1984(昭和59)年に日劇再開発により完成した「有楽町マリオン」の前の植え込みのなかだ。

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