なぜ「飛脚問屋」は上方で生まれた?京都・大坂発、全国輸送網の衝撃!江戸を動脈にした物流と不正の構造とは【連載】江戸モビリティーズのまなざし(26)

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江戸期の物流網を支えた飛脚は、ふんどし姿の配達人ではない。京都120、大坂90超の飛脚問屋が築いた全国ネットは、私設インフラそのものだった。定期便から水陸両用の長崎航路、不正を生んだ需給ギャップまで。輸送のリアルが、現代の構造課題をも照射する。

種類多彩だった飛脚

飛脚(画像:PIXTA)
飛脚(画像:PIXTA)

 筆者(小林明、歴史ライター)は以前、当媒体で「江戸時代の運送業者「飛脚」料金いくらだった? ふんどし姿だけじゃない? 知られざる実像に迫る」(2023年9月24日配信)という記事を書いた。

 飛脚はふんどし姿で走って手紙を届けるだけではなく、荷物も運ぶ。

・大名から依頼を受けた「御用飛脚」
・全国に中継所を設置してリレーする「継飛脚」

など種類も多彩で、通信・流通を支えた。そして、その中心は江戸より上方に置かれていた。本稿では、京都・大坂を拠点に独自の輸送網を持っていた「飛脚問屋」について解説する。

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