なぜ「飛脚問屋」は上方で生まれた?京都・大坂発、全国輸送網の衝撃!江戸を動脈にした物流と不正の構造とは【連載】江戸モビリティーズのまなざし(26)

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江戸期の物流網を支えた飛脚は、ふんどし姿の配達人ではない。京都120、大坂90超の飛脚問屋が築いた全国ネットは、私設インフラそのものだった。定期便から水陸両用の長崎航路、不正を生んだ需給ギャップまで。輸送のリアルが、現代の構造課題をも照射する。

上方は飛脚問屋発祥の地

巻島隆『飛脚は何を運んだのか』(画像:筑摩書房)
巻島隆『飛脚は何を運んだのか』(画像:筑摩書房)

 飛脚は「飛脚問屋」に雇われ、全国に書状や荷物を発送する。この飛脚問屋は、上方(京都・大坂)の発祥――巻島隆は自著『飛脚は何を運んだのか』(ちくま新書)でこう述べている。徳川が江戸に幕府を置くまで政治・経済・物流の中心は京都・大坂であり、早い時期に飛脚の組織化が進んでいた。

 幕府が開かれると、今度は江戸との間に安定した輸送網を築く必要が生じ、飛脚問屋が飛躍的に増えた。その数は京都で120、大坂で80~90にのぼる。

 上方の飛脚問屋は、一枚摺(1枚の紙)にリスト化されていた。京都は『諸州国々飛脚便宜鑑』、大坂は『難波丸網目』という印刷物で、飛脚問屋たちが作成し、取引先に配ったという。

 丁寧かつ手の込んだリストだった。例えば『諸州国々飛脚便宜鑑』は問屋ごとに屋号・所在地、輸送可能な地域や定期便の有無などを、詳細に記していた。江戸に荷物を送るにはどの問屋の定期便を使えば期限までに届けることができるか、あるいは名古屋ならどの業者に任せるべきかなど、用途に応じて選ぶことができたのである。

 リストはさらに、江戸に運んだのちの運輸網まで案内していた。「江戸定飛脚順番問屋」といわれる業者がリレーし、配送できる範囲は上総(千葉県)、下総(千葉県北部・茨城県)、上野(群馬県)、下野(栃木県)、信濃(長野県)、さらに陸奥(福島県・宮城県・岩手県・青森県)、出羽(山形県・秋田県)まで、関東および東北に及んでいた。

 一方、西へも山陰・山陽・四国・九州までリレーする輸送網が備わっていた。全国への配送が可能だったわけだ。

 京都に次いで飛脚問屋が多かった大坂も、『難波丸網目』に同様の内容が記されている。京都・大坂が日本最大の飛脚の拠点だったことを物語っている。

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