渋谷はもう終了? ホームレスは消え、TikTokerが跋扈する「宮下公園」…誰のための公共空間? Z世代が語る“渋谷らしさ”とは何か?
「排除の必然化」が見せる問題点

谷頭氏は、かつての宮下公園がホームレスという特定の層に「「選択」されていた空間」だったと主張している。「選択」という言葉を使うことで、氏は無意識か意図的かは別として、
・社会的弱者の排除
・商業的な「選択」
を同一視して論じている。このように、ホームレスの「選択」と商業的な「選択」を同列に扱うことによって、背後にある権力構造や非対称性の視点が欠けている。
この主張には根本的な問題がある。ホームレスが宮下公園に集まったのは、彼らが「選択」されていたからではなく、
「社会から排除され、最終的な居場所として機能していた」
からだ。宮下公園はむしろ「選択肢がなかった」人々がたどり着いた場所なのである。
氏の主張では、社会的弱者の「排除」と商業施設による特定層の「選択」を同等視することで、
「都市空間における権力構造や経済的利益の問題」
が曖昧になってしまっている。交通インフラの変化が夜行列車の減少を招いたように、それも政策判断の結果であり、宮下公園のホームレス排除も自然な流れではなく、明確な政策判断と経済的な思惑による結果だ。
政治的バイアスを抜きにしても、当時の報道を追うことで、ホームレス排除と公共空間を資本に供する意図は明らかに浮かび上がる。
「みんなが居心地の良い場所を作れない」という諦めは、現状の問題を固定化し、正当化するリスクがある。これは、夜行列車の議論における「速さと効率だけが正常な進化」という考え方に近い。
結局、氏の「多様性は偽善的な言葉に過ぎない」という冷笑的な諦めは、批評家として建設的視点を放棄しているようにもみえる。
もっとも、これを冷笑的と捉える方が時代遅れなのかもしれない。評論家・速水健朗氏は、『日本経済新聞』2025年2月27日付電子版で『ニセコ化するニッポン』を取り上げ、こう述べている。
「本書が踏襲する「テーマパーク化」「ディズニー化」の概念は、その語のインパクトゆえに広まったところがある。「ニセコ化」も著者が定義する内容以上の広がりを持つだろう。それだけインパクトは強烈だ」
速水氏のいう「インパクト」とは何か。それは、氏が「多様性は偽善的な言葉に過ぎない」と断言する冷徹な語りの力強さではないか。
氏の文章には、「もう仕方ない」と感じる人々の感情を代弁する力がある。変えられない現実への鬱屈や無力感を、「ニセコ化」や「選択と集中」といった言葉でラベリングし、納得しようとする。この主張が、Z世代の都市論として注目されているのだろう。
ここで思い出すのは、筆者(昼間たかし、ルポライター)と同世代の赤木智弘が『論座』2007(平成19)年1月号に寄稿した「『丸山眞男』をひっぱたきたい–31歳、フリーター。希望は、戦争。」だ。当時、赤木氏は失うものがないなら、戦争は悲惨ではなくチャンスだと主張した。これは、就職氷河期世代の心情を代弁するものとして話題になった。
ゆえに、氏の主張を冷笑的と切り捨てるのではなく、希望を持てない時代の「必然」として読み解くべきなのかもしれない。