渋谷はもう終了? ホームレスは消え、TikTokerが跋扈する「宮下公園」…誰のための公共空間? Z世代が語る“渋谷らしさ”とは何か?
公共空間の真の進化とは

谷頭氏の「ニセコ化」論には、世代ならではのインパクトがある。一方で、状況をもはや変えられないものとして眺める硬直性も感じられる。氏は「選択と集中」の結果として、若者文化の発信地となった現在の渋谷を評価する。しかし、そもそも「渋谷らしさ」とは何なのか。
かつて宮下公園は、ホームレスが暮らし、左翼団体のデモの出発点となる場所だった。山手線からは乱立する赤旗が見えた。氏はこうした過去を「渋谷にあって渋谷ではないような、独特の空間」と表現し、
「今でも、SNSで検索すれば、かつての宮下公園が「怖い」ものだったと言う人の声が見つかる」
と指摘する。その認識は極めてネガティブだ。しかし、それこそが「渋谷らしさ」の一部ではなかったか。
筆者は、終戦直後からの渋谷を知る人々に取材を重ねてきた。そこで浮かび上がるのは、渋谷が長らく混沌とした危険な街として繁栄してきたという事実だ。昭和の愚連隊伝説から平成のチーマー文化まで、その「どうしようもない怖さ」が街の魅力を生み出してきた。にもかかわらず、渋谷は東急線沿線の住宅地へとつながるターミナル駅でもある。その混沌こそが、渋谷の本質であり、魅力であり、「らしさ」だった。
では、高級ブランドが立ち並び、TikTokerが集まる今の渋谷は、「渋谷らしさ」を体現しているのか。「選択と集中」によって、かつての多様性そのものが失われたのではないか。だからこそ、「ニセコ化」という一言で都市の変化を語るのではなく、「渋谷らしさとは何か」を改めて問い直す必要がある。氏には、MIYASHITA PARKがTikTokerの聖地として若者に愛されている現実を認めつつも、それが誰かの排除の上に成り立っていることを無視すべきではないと伝えたい。
都市を論じることは、単に現実を語ることではない。どれほど鋭い分析を行い、どれほど印象的な言葉を用いたとしても、書き手が弱者の側に立たなければ、それは無秩序な暴力となる。
筆者は2000年代前半、都内でホームレス支援活動に参加した経験がある。川沿いの遊歩道に小さな家を建てて暮らす人もいれば、橋の下で寝泊まりする人もいた。理由はさまざまだ。経済的な困窮を淡々と語る人もいれば、「昔、悪いことしちゃってさ」と苦笑する人もいた。
では、彼らは住民税も払わず、不法に住みつく「不要な存在」なのか。そうではない。彼らもまた、街の住人であり、その風景の一部を形成していた。「誰かを排除しなければ誰かの居場所は作れない」という考えを、そのまま受け入れるわけにはいかない。都市はもっと複雑で、多層的で、寛容であるべきだ。
ここで思い出すのが、川端康成が1929(昭和4)年に発表したルポルタージュ風小説『浅草紅団』である。川端は当時、エリート階級にありながら、浅草の底辺に分け入り、レビュー小屋や見世物小屋、貧困のなかで生きる若者たちを描いた。それは、都市の中心ではなく周縁から捉える、極めて批評的な視点だった。
こうした視点こそ、本来「都市論」と呼ぶべきものではないか。現状を観察し、変化を受け入れるしかないと諦めるのではなく、「どうありたいか」を模索することにこそ意味がある。都市についての対話とは、そうした姿勢のもとに成立するものだ。