渋谷はもう終了? ホームレスは消え、TikTokerが跋扈する「宮下公園」…誰のための公共空間? Z世代が語る“渋谷らしさ”とは何か?

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都市再開発は、誰にとっての「成功」なのか。渋谷のMIYASHITA PARKは、かつてホームレスが集う場から商業施設と一体化した「洗練された空間」へと変貌を遂げた。再開発による賛否の声は今も消えず、「排除か、選択か」を巡る議論は続く。本稿では、都市空間の「ニセコ化」に警鐘を鳴らす谷頭氏の視点を通じて、公共性と経済合理性のせめぎ合いを検証する。

谷頭氏に欠けた「利用者視点」

渋谷(画像:写真AC)
渋谷(画像:写真AC)

 谷頭氏の議論には、鋭い観察や現実への洞察がある一方で、見過ごされている視点も少なくない。特に欠けているのは、多様な「利用者視点」、なかでも社会的弱者の立場から空間をどう見るかという視点だ。例えば、氏はMIYASHITA PARKを訪れた際、

「昼間から芝生に寝転がり、だらだらとしている人々。特に大きな目的があるわけではなく、そこにいる人々」
「特に夜のMIYASHITA PARKは多くの人がTikTokを撮影していることも相まって、かなり独特の空間がそこに形成されている」

と描写している。現在の都市空間の新たな形態に対する関心がうかがえるが、かつてこの公園で暮らしていたホームレスの視点や、その後の行方への関心は見られない。

「誰かにとっての居心地の良さは、誰かにとっての居心地の悪さでもある」という指摘は、一面の真理ではある。しかし、こうした二項対立の枠組みだけでは、創造的な空間づくりの可能性を十分に捉えることはできない。

 筆者自身、これまでに多くのデベロッパーや行政の再開発計画資料を見てきた。「国際化」「にぎわい創出」といった抽象的で耳障りのいい言葉が並ぶことに、うんざりさせられる場面も少なくない。しかし、だからといって、すべての都市計画が最初から「一部の人しか楽しめない閉鎖空間」をつくろうとしているわけではない。現場では、できる限り多くの人が再開発の恩恵を受けられるよう、折衝や工夫が繰り返されている。

 重要なのは、何が意図されたかだけでなく、

「結果として何がこぼれ落ちたのか」

にも目を向けることだ。排除が目的ではなかったとしても、結果として誰かが締め出され、以前の生活を失ったのであれば、その現実に向き合わなければならない。そうした不幸を、現在の幸福に必要な犠牲として片付けるべきではない。

 氏の視点が、こうした包摂の可能性に十分目を向けていない点は、議論の奥行きを損なう要因となっている。

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