広島と愛媛の「この場所」に、なぜ橋を作らないのか? Part2
広島市と松山市を結ぶ架橋計画「Qルート」は、瀬戸内海を横断する新たな大規模インフラとして、地域経済を活性化させる可能性を秘めていた。1990年代に提案され、300万人の沿線人口を見込んだこの構想は、交通の利便性を飛躍的に向上させることを目的としていたが、現在その実現は遠のいている。
既存ルートに挑戦する架橋計画
この考えは筆者の空想に過ぎないわけではない。実際、1990年代にはすでに架橋計画が立案されていた。この計画は単にふたつの県庁所在地を結ぶものではなく、瀬戸内海域の未来を変える壮大な構想であった。
この構想を初めて報じたのは、広島県の地元紙『中国新聞』の1994(平成6)年1月24日付朝刊である。同紙は社説「第四架橋構想の論議を深めよう」のなかで、既存の三つの架橋ルートに続く広島市と松山市を結ぶ新たな構想の存在を紹介した。
同紙によると、この架橋案は広島大学経済研究センター長の櫟本(とちもと)功教授が提唱したもので、既に三つのルートが存在するにもかかわらず、新たな架橋がなぜ必要なのか、その必然性について解説している。
「(三つのルートは)東に片寄り、中・四国の最大都市、広島・松山両市の連携を欠くため、南北軸としての結節点が弱い」
このように立案された架橋案は、単に広島市と松山市を結ぶだけでなく、壮大な構想であった。『中国新聞』が説明する構想によると、ルート案は次の三つからなる。
・広島市から安芸諸島を南下するルート
・山口県の周防大島から防予諸島を渡るルート
・上記二つのルートが愛媛県の怒和島で接続し、松山市へ向かうルート
これらのルートが接続される形状がアルファベットの「Q」に似ていることから、この構想は「Qルート」と通称されていた。