広島と愛媛の「この場所」に、なぜ橋を作らないのか? Part2

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広島市と松山市を結ぶ架橋計画「Qルート」は、瀬戸内海を横断する新たな大規模インフラとして、地域経済を活性化させる可能性を秘めていた。1990年代に提案され、300万人の沿線人口を見込んだこの構想は、交通の利便性を飛躍的に向上させることを目的としていたが、現在その実現は遠のいている。

架橋計画が得た地方支持

瀬戸内海(画像:写真AC)
瀬戸内海(画像:写真AC)

 一見すると夢のような大構想に思えるが、この記事には次のような具体的な動きが記されていた。

「(この構想は)広島経済同友会の安芸・防予ベイエリア交流会議などで討議を重ねてきた。藤田(雄山)広島県知事も乗り気だ。関係県による推進組織の設立も検討されている」

実際、この構想に対する期待は高まっていたようで、『中国新聞』の1994年4月18日付け朝刊には、提唱者である櫟本教授自身が寄稿し、このルートの利点を訴えていた。寄稿のなかで櫟本教授は、架橋を推進する最大の理由として「安全性」を挙げ、次のように述べている。

「瀬戸内海は東西や南北の航路に船舶がひしめき海難事故の可能性は極めて高い。(中略)海自体を楽しむ船は別として、橋は車による人の輸送に適し、船は物の輸送に適している。陸で自動車と歩道橋を立体交差させているように、瀬戸内海も立体交差にして物は船で、人は橋やトンネルで輸送して、船と船の接触を少なくして、安全性を高めるべきである」

さらに櫟本教授は、離島ならではのよさが失われるという反対意見に対して、

「島の住民の犠牲において、のどかなロマンを満たそうとしているに過ぎない」

と厳しく反論した。つまり、新たに架橋を実現すれば、アクセスの限られた離島がさらに減少するため、離島住民の生活向上のためにも構想を推進すべきだというのが櫟本教授の主張だった。

 いささか理想主義的な印象も受けるが、それにもかかわらず、この構想が県知事も支持するほどの影響力を持つに至った理由は、当時の特殊な社会情勢にあった。

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