広島と愛媛の「この場所」に、なぜ橋を作らないのか? Part2
広島市と松山市を結ぶ架橋計画「Qルート」は、瀬戸内海を横断する新たな大規模インフラとして、地域経済を活性化させる可能性を秘めていた。1990年代に提案され、300万人の沿線人口を見込んだこの構想は、交通の利便性を飛躍的に向上させることを目的としていたが、現在その実現は遠のいている。
愛媛県の提案と課題
この構想に強い賛意を示したのが愛媛県である。1996年1月、島根・広島・愛媛・高知の4県と広島市の首長が一堂に会し、「中四国地域連携軸交流会議」が開催された。この歴史的な会議で、当時の伊賀貞雪愛媛県知事は次のように発言した。
「私の方から見ても、広島からみても少し今治ルートが東に寄りすぎている感じがする。もう少し西の直結ルートと長期的な視点に立って考えて行くべき」
当時は国家的プロジェクトとして豊予海峡架橋の着工も間近と期待されていた。関係者の間では、この架橋と併せて第四の本四連絡橋(Qルート)が実現するのではないかと、明るい未来像が描かれていたのである。
しかし、こうした期待にもかかわらず、その後この計画が具体化することはなかった。広島県は1997年6月、次期全国総合開発計画に関する国への要望書の中で、広島~松山ルート構想について
「架橋等の高速交通基盤により連結する」
という表現を初めて公式に盛り込んだ。しかし、これが具体的な調査や事業検討に発展することはなかった。
計画が実現に至らなかった最大の理由は、その技術的・経済的な実現可能性にあった。この「Qルート」を実現するためには、2500m級の大規模なものを含め10以上の橋が必要とされ、技術的な課題とともに総事業費がしまなみ海道の約6000億円を大幅に上回ることが確実視されていた。
さらに、1996年には国が公共事業の抑制方針を明確に打ち出しており、このような巨大プロジェクトが承認される可能性はほとんどなかったのである。