広島と愛媛の「この場所」に、なぜ橋を作らないのか? Part2

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広島市と松山市を結ぶ架橋計画「Qルート」は、瀬戸内海を横断する新たな大規模インフラとして、地域経済を活性化させる可能性を秘めていた。1990年代に提案され、300万人の沿線人口を見込んだこの構想は、交通の利便性を飛躍的に向上させることを目的としていたが、現在その実現は遠のいている。

広島発、経済圏拡大への挑戦

東広島市(画像:OpenStreetMap)
東広島市(画像:OpenStreetMap)

 この時期の広島県の開発状況を詳述すると、広島市と東広島市を結ぶ国道2号線の東広島バイパスの建設が進んでおり、1995(平成7)年には広島大学の全学部統合移転が完了する予定だった。

 また、広島新空港は国際空港化を目指し、滑走路の3000m化が検討されていた(2001年に完成)。アジア大会の主会場となった広島ビッグアーチ周辺には、10万人規模の計画都市「西風新都」が整備されるなど、大型プロジェクトが次々と実現に向けて動き出していた。

 この時期、バブル景気が終わり、日本全体が長い不況時代に突入していたが、アジア大会の開催による広島県市への経済波及効果が約3兆円と試算されており、広島だけは大型プロジェクトの推進により異なる道を歩んでいた。

 こうした背景のなか、広島県市は「Qルート」を実現させ、さらに豊予海峡架橋と接続することで、九州までを含む広域経済圏の確立を目指していた。さらに、島根県とのアクセス改善も視野に入れ、中国地方の最大都市としての地位を超えた、より広域的な中核都市への発展を構想していた。この発展構想の最終形として、島根県~広島県~愛媛県~高知県を結ぶ

「中四国地域連携軸」

の確立が掲げられ、広島市がその中心となるというビジョンが描かれていた。

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