広島と愛媛の「この場所」に、なぜ橋を作らないのか? Part2
広島市と松山市を結ぶ架橋計画「Qルート」は、瀬戸内海を横断する新たな大規模インフラとして、地域経済を活性化させる可能性を秘めていた。1990年代に提案され、300万人の沿線人口を見込んだこの構想は、交通の利便性を飛躍的に向上させることを目的としていたが、現在その実現は遠のいている。
ルート消滅も高まる架橋需要

政治的な側面も無視できない。当時の藤田広島県知事は構想に賛成していたが、しまなみ海道の完成を控えた時期に「Qルート」構想を強力に推進することは、国との関係悪化を招く懸念もあった。
さらに、新たな架橋や中四国地域連携軸がもたらす具体的な効果については、イメージばかりで明確な示唆がなかった。漠然とした新たな経済圏の誕生と発展だけが繰り返されていたため、「Qルート」の推進は、豊予海峡架橋による発展に取り残されないための口実に過ぎないと見られることもあった。
その結果、「Qルート」の構想は1997年を最後に具体化せず、消滅した。しかし、この構想が完全に消えたわけではない。平成の大合併で誕生した江田島市は、「新市建設計画」において次のように言及している。
「海上交通・公共交通基盤の整備・充実によるターミナル機能の強化や、高度情報基盤の整備、将来的には広島・松山ルート構想(その一部である広島湾架橋構想)の推進や江田島北西部の海洋居住都市の整備を図る」
これは、「Qルート」の完成を目指すというよりも、広島市との架橋を実現することが目的である。現在の江田島市は、早瀬瀬戸を渡る早瀬大橋で倉橋島と接続し、倉橋島から音戸瀬戸を渡る音戸大橋を経由して本土と繋がっている。
そのため、完全な離島ではないが、広島市へのアクセスは航路に限られ、陸路では呉市を経由する遠回りを強いられている。広島湾への架橋は今でも強く求められているのだ。