「夜行列車消滅 = 正常な進化」は本当か? 新幹線礼賛論に異議あり! 鉄道オタクに決定的に欠けた「利用者視点」とは【リレー連載】ビーフという作法(5)
夜行列車の消失は「自然な進化」ではない。新幹線や航空機の発展に圧されるなか、依然として需要がある夜行列車の役割を再評価し、公共交通としての進化を求める声が高まっている。非日常的な移動体験や時間の有効活用を重視したサービスの進化が、今こそ必要とされている。
量的評価に潜む限界

交通経済ライターとしての立場からいうと、「速いからよい」という考え方や論調には
「危険性」
を感じる。前述のDEIを意識し、多様な移動手段が存在する状態の実現が重要だ。環境デザインの哲学だと指摘する人もいるかもしれないが、哲学を基盤に持続可能なビジネスを考える方法論も存在する。
また、量的評価だけでなく、質的評価という視点も忘れてはならない。公共交通は事業者と生活者の共創によって成り立っているという意識も大切だ。そのため、夜行列車の消滅を「正常な進化」として受け入れる考え方には
「限界」
があると考える。量的な評価だけでは俯瞰的な視点を持つことができないからだ。
今後の公共交通政策や鉄道のあり方を考えるにあたり、移動手段の多様性を量と質の両方、事業者と生活者の視点を交えて再評価する必要がある。効率と効果のバランスも重要だが、効果には経済的なものだけでなく、精神的、体力的な効果も含まれる。
真に望ましい公共交通は、経済的な効果やスピードだけでなく、生活者の心や精神にも配慮し、それらすべての効果を高めることが求められる。公共交通のあり方を考える際には、この視点が欠かせない。しかし、「鉄道オタク」にはこの重要な点が欠けていることが多いのである。