江戸時代の物流現場はバトルロイヤル? 河岸問屋vs船持、利権争いの歴史をひも解く【連載】江戸モビリティーズのまなざし(25)
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江戸時代、思川筋を中心に発展した河川運輸では、問屋と船持が利権を巡って対立し、頻繁にトラブルが発生していた。中小運輸業者の83%が人手不足に陥る現代とは異なり、17~18世紀の水運では人手が充実していたが、それにより問屋と船頭の力関係が逆転する事態も生じていた。農村生活を支える生活必需品を運ぶ上り船が重要視され、地域ごとの格差が広がっていたことがわかる。
水夫たちは問屋より力関係は上?

元文年間(1736~1741)には、問屋と船持(船の所有者)との争いも表面化した。訴えたのは、またしても栃木河岸の問屋だった。船頭たちが指図(さしず)に従わないので、指導してほしいというのだ。おそらく賃金や運航日程に不満を持っていた船持が、反発したのだろう。あげく輸送中止、つまりストライキを強行し、商売に差し障りが生じたという。
また、栃木周辺の河岸には「新旧」の船持が所有する80艘にのぼる高瀬舟(この時代の運送船)があったが、問題を起こすのは新規参入者たちであり、好き勝手に自分たちの権利を主張し、統制がとれないと記している。
船による水運が発達した結果、仕事の発注元(問屋)より受注先(船持)が力を持ってしまったわけだ。この訴えがどう裁断されたかの結末も不明だが、おそらく、いくばくかの待遇改善が行われ、船持たちを納得させる他、解決策はなかったろう。
なお、訴状によると積荷は、下り船は米・麻・煙草、上り船は干鰯・糠・塩と記されている。船持たちは、上り船が運ぶ生活必需品を押さえていたため、強気に出たといえる。これらが欠乏すると、農村の生活は厳しい。
中小運輸業者の83%が人手不足に陥っているとの調査結果(日本商工会議所/2024年9月)があるが、17~18世紀の思川の水運では逆に人手は充実していたが、それゆえに問屋が船頭から足元を見られ、立場が逆転するという結果を招いていたのである。
その一方で、壬生・乙女など力を持つ河岸には利益が集中し、他の河岸と格差があった。大手と中小の格差は、現代にも通じていよう。
●参考資料
近世関東の水運と商品取引 丹治健蔵/岩田書院