江戸時代の物流現場はバトルロイヤル? 河岸問屋vs船持、利権争いの歴史をひも解く【連載】江戸モビリティーズのまなざし(25) 歌川広重「東海道五十三次 三島 朝霧」1833~1834年 葛飾北斎「東海道五十三次 絵本駅路鈴 箱根」 水野年方「三十六佳撰 遊山 享保頃婦人」。1893年 高橋松亭「お茶の水」。1909~1916年 葛飾北斎「東海道五十三次 絵本駅路鈴 沼津」 乙女河岸にあった「車屋」という肥料問屋を描いた『大日本博覧図』。1890(明治23)年作。維新後も栄えていた豪商・小川善平の邸宅だ(画像:国立国会図書館) 地図1(左)。壬生と飯塚との距離は7km。乙女は飯塚からさらに約16km下流。地図2は明治時代初期の地図。乙女河岸には現在、河岸跡が残っている(画像: 国土地理院、農研機構・歴史的農業環境閲覧システム) 『武徳編年集成』は、利根川に架かる栗橋が流されてしまったため、家康が乙女河岸から船に乗って江戸に向かったことを記している(画像:国立国会図書館) 思川筋ではないが、大型船が停泊する江戸時代の河岸の様子が描かれている(画像:『利根川図志』国立公文書館) 関連記事 【Amazon ギフト券プレゼント】自動車DXサミットvol.4 見逃し配信中! (PR)アイティメディア/メディア・ヴァーグ 風が止まると「帆船」はどうなってしまうのか? 進めないだけではない“もう一つの制約”とは 南海フェリー撤退 “2時間航路”はなぜ競争に勝てなかったのか?――明石海峡大橋が変えた本州~四国ルートとは 「こんなに速くする必要ある?」 時速511kmに到達した船、丸木舟から積み重ねた進化はどこへ向かうのか? 「受注は増えても作れません」 国策に追い付かない「造船業界」、1万人超の人手不足が浮き彫りにする供給網の深淵とは この画像の記事を読む