日本だからこそ味わえる“恐怖”の魔力【連載】平和ボケ観光論(4)

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クリスマスやバレンタインデーを超えた熱狂、ハロウィーンが日本独自の進化を遂げた理由とは?渋谷の騒動から子ども向けの軽い恐怖、さらには観光資源としての可能性まで、平和な日本だからこそ実現した「管理された恐怖」の魅力と未来を探る。

ハロウィーン、商業主義無縁の理由

「平和ボケ観光」のイメージ。
「平和ボケ観光」のイメージ。

 観光は訪れる人に安らぎと新しい体験をもたらす特別な活動だ。2021年東京五輪では選手村のもてなしに日本独自のホスピタリティが際立ち、「平和ボケ」が安心感と癒やしを与える力を示した。本連載「平和ボケ観光論」では、日本の安全で穏やかな環境が観光資源として持つ価値を体験を通して探る。

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 季節イベントといえば、クリスマスやバレンタインデー、ホワイトデーなど、商業主義が色濃く反映されているものが多い。新たな風習として定着した「恵方巻き」や、古くから親しまれている「土用の丑(うし)の日」も、その背景には業界の戦略が見え隠れする。

 一方で、日本では珍しく、商業主義を感じにくい季節イベントがある。それが

「ハロウィーン」

だ。
確かに、ハロウィーン当日には特定の地域でアルコールの売り上げが増えたり、コスプレグッズが動いたりと、経済的な効果も見られる。しかし、これらは後から生まれた現象であり、ハロウィーン自体が商業目的で仕掛けられたイベントではない。

 では、なぜハロウィーンは商業主義とは無縁に感じられるのだろうか。その理由のひとつは、ハロウィーンが日本に導入された際、経済効果を期待して広まったわけではなく、自然に文化として定着した点にある。また、日本特有の「平和ボケ」が、商業主義からの距離感を保つ一因となっているとも考えられる。

 ハロウィーンのユニークな立ち位置は、日本社会における季節イベントの在り方を再考するきっかけを提供しているのかもしれない。

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