日本が海外から観光地として選ばれる本当の理由【連載】平和ボケ観光論(1)
平和ボケは日本の観光資源

「平和ボケ」という言葉は、これまで危機感の欠如や無防備さを戒める自虐的な表現として使われてきた。しかし、人の移動を前提とする観光の視点で捉え直すと、その意味は大きく反転する。世界各地で移動に緊張と警戒が伴う現代において、防衛本能をほぼ解除した状態で滞在できる環境は、他国がどれほど投資を重ねても容易に再現できない希少な資産である。本連載「平和ボケ観光論」では、この環境をインバウンドの心身を回復させる世界屈指の安全インフラとして再定義する。自嘲の対象とされてきた「平和ボケ」という空気が、いかにして世界が渇望する「最高の贅沢」へと転じるのか。各地での体験を通じ、その価値を多角的に掘り下げていく。
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美しい水や空気が無料で手に入り、安全も当然のように提供される社会に対して不満を持つことは難しい。しかし、そうした恵まれた環境が当たり前になることで、日本独自の「平和ボケ」という状態が育まれてきた。
日本は80年前、滅亡の危機に直面した戦争を経験した。終戦後の混乱を経て、高度経済成長やバブル経済の崩壊、震災を乗り越えながらも、幸いにして戦争とはほぼ無縁の歳月を重ねている。今や日本は、世界に誇るべき穏やかな空気感を持つ国家となった。「危機感を持ったほうがいい」という指摘も確かにあるだろう。バブル崩壊後の長期低迷や「失われた30年」は、こうした平和な環境に安住しすぎたことに起因しているのかもしれない。
一方、世界に目を向ければ、今も紛争で命が失われ、治安の崩壊や食糧不足に苦しむ地域は少なくない。環境破壊が健康を脅かしている場所も多い。こうした激動する国際情勢の中で、防衛本能を解除して過ごせる日本の環境は、移動に伴う心理的な重荷を劇的に取り払う力を持っている。五井平和財団が143か国4272人の若者に行った調査によると、自国が平和だと思う割合は国によって様々だが、日本の若者の約9割が「思う」と回答している事実は興味深い。
オーストラリアの経済平和研究所が発表した2024年度の世界平和度指数では、日本は「軍事化」の分野で評価が下がり17位にランクダウンしたものの、2023年は9位を記録しており、依然として世界有数の水準を維持している。本来、異国の地を旅する際には現地の治安を常に気にかけ、周囲を警戒し続けなければならないが、日本ではその労力をすべて風景の発見や体験の楽しみに振り向けることができる。この無防備でいられる自由こそが、他国がどれほど多額の投資を重ねても容易に再現できない希少な価値だ。日本という空間全体が提供するこの安心感こそが、世界が渇望する観光資源であるといえる。