エアアジアのインド市場撤退! 「LCC戦争」敗北の理由とは何だったのか? 過去栄光の落とし穴を再考する

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エアアジアが日本とインド市場から撤退したのは、過信と市場特有の課題を見誤ったためだ。競争の激化や規制環境への適応不足が影響し、成功を再現するためには慎重な戦略が必要だと証明された。

規制緩和で生まれた新星

 エアアジア・インディアは、2013年3月に

・エアアジアグループ:49%
・インドのタタグループ:30%
・同国の鉄鋼大手ミッタル社会長の親族:21%

が出資する形で設立された。運行許可を得て、2014年6月12日にはベルガルール(バンガロール)~ゴア線を皮切りに就航を開始した。その後、“インドのシリコンバレー”とも呼ばれるベルガルールを中心に、デリーやコルカタ(カルカッタ)などの主要都市に路線を広げ、インド国内の成長する市場に展開していった。

 2010年代前半、インドの航空業界は激しい競争と、世界で最も高い燃料税や着陸料を含む厳しい規制により、業界全体が厳しい状況に直面していた。実際、キングフィッシャー航空は一時最大シェアを誇っていたが、破綻に追い込まれた。

 そのため、当局は規制を緩和し、外資による航空会社への出資を一定程度認めるようになった。エアアジア・インディアは、この規制緩和の結果として誕生し、さらにミッタルやタタといったインドの大財閥が出資していることもあり、就航当初は大いに期待されていた。

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