世界のフラッグキャリア「パンアメリカン航空」はなぜ破綻したのか? 20世紀の航空文化を変えた絶大な影響力を振り返る

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パンナムは1927年に設立され、航空業界の先駆者として君臨した。1958年には米国初の旅客ジェット機を導入し、文化的なアイコンとしても知られるようになった。しかし、1970年代には高コストと航空自由化の影響で経営危機に直面し、1991年に消滅してしまう。パンナムの繁栄と衰退は航空業界の変化を象徴するストーリーであり、「世界のフラッグキャリア」としての栄光は歴史に深く刻まれている。

「世界のフラッグキャリア」と呼ばれた航空会社

クリッパー・スパークリング・ウエーブ(N741PA)は、ボーイング747-100型機で、ベルリン・テンペルホーフ空港への最終進入中、パンナムの最後の「ビルボード」スタイルの塗装を施して飛んでいた(画像:Ralf Manteufel)
クリッパー・スパークリング・ウエーブ(N741PA)は、ボーイング747-100型機で、ベルリン・テンペルホーフ空港への最終進入中、パンナムの最後の「ビルボード」スタイルの塗装を施して飛んでいた(画像:Ralf Manteufel)

 ビートルズの米国進出や「007」シリーズへの登場、大相撲の表彰、さらにはアメリカ横断ウルトラクイズの決勝戦など、20世紀後半に多くの国の文化に影響を与えた航空会社が「パンアメリカン航空」、パンナムだ。

 同社は長年にわたり、米国発の長距離国際線を運航し、

・ビジネスクラスの設立
・大型旅客機B747の開発

など、航空市場に大きな貢献をしてきた。その影響力は

「世界のフラッグキャリア」

と称されるほどだった。また、アジアの拠点を東京に置いていたため、日本人にもなじみ深いエアラインだった。

 しかし、航空自由化が進むと収益力が低下し、経営の合理化に失敗してしまう。結果として、1991(平成3)年にパンナムは消滅することとなった。

 今回は、そんな繁栄から消滅に至るまでの経緯を振り返ってみよう。

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