消えた巨星「トランス・ワールド航空」 96年墜落事故と自由化の波に呑まれた栄光の終焉を振り返る
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米国航空史の象徴であるトランス・ワールド航空は、ハワード・ヒューズのもとで飛躍的に成長した。しかし、1978年に航空自由化が進むと急速に衰退していった。1996年には大事故が発生し、その後も経営破綻が続いた結果、2001年にアメリカン航空に吸収された。
買収戦略の限界と苦境

しかし、そんなTWAの黄金時代も、1978年の航空自由化によって暗転する。もともと、TWAは欧州各地にパイロットの拠点を置くなど高コスト体質だったため、コストカットに苦しむことになる。国際線の名門として急速に衰退していったパンナムと比べて、1980年代には比較的堅調な業績を保っていた。
しかし、国内線の強化を目指した買収は、1986年にセントルイスを拠点とする地域航空会社・オザーク航空のみにとどまった。ノースウエスト航空がリパブリック航空を買収し、国内各地に路線網を持っていたのに対して、TWAは劇的に国内線を増やすことができなかった。
その結果、身売りを検討するようになり、一時はコンチネンタル航空など多くの航空会社を破産に追い込んだことで知られるフランク・ロレンツォへの売却を考えた。しかし、ロレンツォへの評価は当時から低く、労働組合が強く反対したため、結局この話は断念される。
そして1992年と1995年には、チャプター11(連邦破産法)を申請した。TWAの強みであった大西洋線も次々と路線が消滅し、同社はセントルイスとニューヨークを中心に運行する中堅航空会社へと変わっていった。