消えた巨星「トランス・ワールド航空」 96年墜落事故と自由化の波に呑まれた栄光の終焉を振り返る
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米国航空史の象徴であるトランス・ワールド航空は、ハワード・ヒューズのもとで飛躍的に成長した。しかし、1978年に航空自由化が進むと急速に衰退していった。1996年には大事故が発生し、その後も経営破綻が続いた結果、2001年にアメリカン航空に吸収された。
無着陸横断便の先駆者

1950年、TWAに改名される。以後、TWAは米国経済の成長を背景に、新しい機材と就航路線を増やしていった。1952年にはロッキード・スーパーコンストレーションを導入し、史上初めて米国大陸を無着陸で横断する定期便を実現する。
その後、ボーイング707やコンベア880、ロッキード・トライスター、ボーイング747などの新機材が次々と投入され、路線網は急速に拡大した。国内線はセントルイス、国際線はニューヨークを中心にして、米国各地や欧州、中東、アフリカにまで進出している。特に大西洋路線には強く、ロンドン、パリ、フランクフルトなどの主要都市への多数の路線を持つハブとして機能していた。
1969年にはパンアメリカン航空(パンナム)を抜いて、トップのシェアを獲得している。また、TWAは新機材の導入に意欲的であるだけでなく、1961年には史上初めて飛行機内で映画を上映するなど、サービス面でも革新的な航空会社だった。ハワード・ヒュルツは映画業界の有名人であり、その人脈を生かしてハリウッドスターを多く登場させ、映画にも頻繁に出演させることで強い宣伝効果を発揮した。
ヒューズは1966年に経営方針の違いからTWAを離れるが、翌1967年には世界屈指のホテルチェーン・ヒルトンを買収し、以後も積極的に経営規模を拡大していく。また、東アジアや東南アジアにも路線を持っていたが、厳しい規制や発着枠の関係で日本への路線は沖縄に限られていた。
そのため、日本ではパンナムやノースウエスト航空に比べて知名度が低くなってしまったが、米国航空業界の黄金時代を代表する航空会社のひとつとして強いブランド力を保っていた。