世界のフラッグキャリア「パンアメリカン航空」はなぜ破綻したのか? 20世紀の航空文化を変えた絶大な影響力を振り返る

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パンナムは1927年に設立され、航空業界の先駆者として君臨した。1958年には米国初の旅客ジェット機を導入し、文化的なアイコンとしても知られるようになった。しかし、1970年代には高コストと航空自由化の影響で経営危機に直面し、1991年に消滅してしまう。パンナムの繁栄と衰退は航空業界の変化を象徴するストーリーであり、「世界のフラッグキャリア」としての栄光は歴史に深く刻まれている。

高コスト体質の代償

1985年チューリッヒのクリッパースプリーセン(画像:Eduard Marmet)
1985年チューリッヒのクリッパースプリーセン(画像:Eduard Marmet)

 国際線ではリーダー的存在であったパンナムだが、「利益率」は国内線で強い

・デルタ航空
・ユナイテッド航空
・アメリカン航空

に比べてはるかに低く、上位10位にも入らなかった。国際線は単価が高いものの、景気による変動が大きく、売り上げは安定しなかった。また、B747の大量導入により固定費が高く、人件費も業界最高水準で、高コスト体質の企業だった。

 このような高コスト体質のまま、オイルショックによる燃料費の高騰や航空自由化による業績悪化に苦しむことになった。しかし、航空自由化によって以前は進出できなかった高収益の国内線市場に参入できるようになったため、状況を打開する切り札を手に入れたともいえる。

 パンナムは1980年に、マイアミを拠点とするナショナル航空を買収し、国内線への本格的な参入を目指した。しかし、ナショナル航空の買収は衰退の始まりとなった。この合併の際、パンナムは拡大を急ぐあまり、ナショナル航空の人件費を自社並みの高さに引き上げてしまった。

 また、B707やB747の開発に深く関わったパンナムは、ボーイング社中心の機材構成だったが、ナショナル航空はダグラス製の機材を主に使用していた。そのため、部品やパイロットの共有ができず、整備費がかさんでしまった。

 さらに、マイアミを拠点とするナショナル航空では全米各地への路線網拡大が難しく、特に米国中部に拠点を築くことができなかった。その結果、パンナムはナショナル航空の買収によって国内線ネットワークを劇的に拡大することができず、コストが増加して利益を圧迫するだけの結果になってしまった。

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