世界のフラッグキャリア「パンアメリカン航空」はなぜ破綻したのか? 20世紀の航空文化を変えた絶大な影響力を振り返る

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パンナムは1927年に設立され、航空業界の先駆者として君臨した。1958年には米国初の旅客ジェット機を導入し、文化的なアイコンとしても知られるようになった。しかし、1970年代には高コストと航空自由化の影響で経営危機に直面し、1991年に消滅してしまう。パンナムの繁栄と衰退は航空業界の変化を象徴するストーリーであり、「世界のフラッグキャリア」としての栄光は歴史に深く刻まれている。

航空ビジネスの革新をリード

パンアメリカン航空のロゴ
パンアメリカン航空のロゴ

 パンナムは1927年、フロリダ州のキーウエストとキューバのハバナを結ぶ旅客便と航空郵便の運航から事業を始めた。その後、創業者のフォン・トリップの強力なリーダーシップのもと、路線を世界各地に広げていく。

 カリブ海や中南米に進出し、現地のエアラインの設立や資本参加にも関与した。また、大型飛行艇を利用してホノルル経由でグアム、マニラ、香港などのアジア路線にも就航した。

 この間、パンナムは政府との関係も深め、米国をはじめとする西欧諸国の植民地政策の道具として使われた。さらに、第2次世界大戦中は米軍の後方支援にも大きく関与していた。戦後は米国政府の保護を受け、国際線市場で唯一、世界各地に運航できるエアラインとして発展。ニューヨーク、マイアミ、サンフランシスコを拠点に、大西洋、太平洋、南米などを結ぶ航空会社として大いに繁栄した。ただし、その代わりに国内線の運航はほとんど行わなくなり、後にこれが問題となった。

 パンナムは、米国初の旅客ジェット機ボーイング707のローンチカスタマー(開発にも大きく関わる初めてその機材を導入する顧客)となり、レシプロ機からジェット機への移行に成功した。また、世界初のビジネスクラス「クリッパークラス」を導入し、現在のビジネスクラスの略称「Cクラス」のルーツともなった。さらに、1960年代にはコンピューターを用いた飛行機とホテルの予約システム「PANAMAC」を導入し、これは今の座席予約システムの先駆けとなった。

 この頃、「インターコンチネンタル」を設立し、ホテル運営にも乗り出すなど、航空路線の領域を超えて旅行業全体に影響を与える一大グループへと成長した。

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