なぜ国産旅客機「MRJ」は失敗したのか 現場技術者に非はなかった? 知られざる問題の本質とは
2020年10月にプロジェクトの凍結が発表されたMRJ。その失敗の本質は何なのか。
5回の遅延でプロジェクト凍結へ
YS-11以来の国産旅客機として期待を集めたスペースジェット(旧称MRJ)は、5回の計画遅延を繰り返した末、2020年10月にプロジェクトの凍結が発表された。既に5機の試作機が飛行試験のために渡米しているが、飛行試験は中断され、そのうち1機は航空機としての登録も抹消された。
MRJの計画は、もともと経済産業省と国立研究開発法人新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)の委託・助成事業「環境適応型高性能小型航空機」として始まった。三菱重工は、2003(平成15)年度から主契約企業となって事業を推進した。プロジェクトには宇宙航空研究開発機構(JAXA)なども参画しており、これは文字通り
「国家プロジェクト」
だった。
JAXAをはじめとする専門機関は、コンピューターを活用した先進的設計手法や、複合材部品の新しい製造技術など、基礎技術に関わる支援を行った。しかし製品開発はその先にあるもので、技術開発はゴールではない。旅客機が製品になるには、量産品として型式証明が取れなければ意味がないのだ。
MRJプロジェクトの遅延は、ほとんどがこの型式証明の取得手続きに関わるものだった。事業凍結への決定打となった大幅な5回目の遅延も、型式証明を得るための大規模な設計変更が理由である。
専門メディアによると設計変更は900件以上に及び、設計荷重の見直しや、各種システムの系統設計に関わる変更など、基本設計の段階に戻ってやり直すような内容がいくつも含まれている。これは卒業論文の提出時に「課題設定と調査からやり直しなさい」といわれたようなものである。