世界のフラッグキャリア「パンアメリカン航空」はなぜ破綻したのか? 20世紀の航空文化を変えた絶大な影響力を振り返る

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パンナムは1927年に設立され、航空業界の先駆者として君臨した。1958年には米国初の旅客ジェット機を導入し、文化的なアイコンとしても知られるようになった。しかし、1970年代には高コストと航空自由化の影響で経営危機に直面し、1991年に消滅してしまう。パンナムの繁栄と衰退は航空業界の変化を象徴するストーリーであり、「世界のフラッグキャリア」としての栄光は歴史に深く刻まれている。

大量輸送時代の幕開けと格安航空券

1973年5月、ジョン・F・ケネディ空港に駐機するパンナムのボーイング747-100型機(「クリッパー・スター・オブ・ザ・ユニオン」)(画像:Arthur Tress)
1973年5月、ジョン・F・ケネディ空港に駐機するパンナムのボーイング747-100型機(「クリッパー・スター・オブ・ザ・ユニオン」)(画像:Arthur Tress)

 パンナムの名声を確かなものにしたのは、超大型旅客機ボーイング747(B747)の導入だった。当時、ボーイングは米軍の大型輸送機の選定競争に敗れ、開発中の航空機を民間でどう活用できるかを模索していた。しかし、B747は従来の2倍以上の座席数を持つあまりにも巨大な機体だったため、航空会社は関心を示さなかった。

 そこで、創業者フォン・トリップは、より多くの乗客を運べるだけでなく、貨物機としても利用できるB747を25機導入する決断を下した。そして1970年にニューヨーク~ロンドン線で初就航を果たす。この購入後、B747の導入により実現可能になった充実したサービス(パンナムは2回席にラウンジを設けていた)や大量の供給が、国内外の航空会社に危機感を抱かせ、次々とB747を導入させるきっかけとなった。

 当時、超音速旅客機に比べてスピードが遅くはやらないとされていたB747は、大ヒットとなった。また、B747の就航後に導入した各社は、急増した座席数を埋めるために

「安い運賃で販売して少しでも空席を減らす」

というビジネスモデルを採用するようになった。これにより、旅行代理店に大量の航空券が行き渡り、格安航空券が急速に普及した。こうして多くの人々が飛行機を利用するようになり、「空の大量輸送」時代が幕を開けた。飛行機が

「ミステリーのアリバイ工作に使われるほど珍しい存在」

だった時代から、誰もが乗れる乗り物へと変わったのは、航空業界のリーダーであるパンナムとフォン・トリップのB747導入の決断が大きな影響を与えたといえるだろう。

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