世界のフラッグキャリア「パンアメリカン航空」はなぜ破綻したのか? 20世紀の航空文化を変えた絶大な影響力を振り返る
パンナムは1927年に設立され、航空業界の先駆者として君臨した。1958年には米国初の旅客ジェット機を導入し、文化的なアイコンとしても知られるようになった。しかし、1970年代には高コストと航空自由化の影響で経営危機に直面し、1991年に消滅してしまう。パンナムの繁栄と衰退は航空業界の変化を象徴するストーリーであり、「世界のフラッグキャリア」としての栄光は歴史に深く刻まれている。
「米国の強さ」の象徴

パンナムは数多くの先進的な取り組みを通じて航空業界での存在感を示し、「世界各地に向かう米国の代表」としての役割を果たしていた。世界中にある支社や支店は、その国や地域のビジネスに精通しており、当時の米国企業が海外に進出する際には、
「大使館の次にパンナムの支社長に会うべき」
といわれていた(パンナム歴史財団のダグ・ミラー氏に対するCNNのインタビューより)。
文化的にも、米国を代表する存在として知られ、「007」シリーズや「2001年宇宙の旅」などの多くのヒット映画に登場している。また、ビートルズが1964年に初めて米国のテレビに出演するためにニューヨークに降り立ったのも、パンナムのボーイング707だった。
建築分野でも名を残しており、特に1963年にマンハッタンに完成した本社ビル「パンナムビル」は、当時世界一高い商用ビルであり、ニューヨークのアイコンのひとつとなった。このビルは、日本ではアメリカ横断ウルトラクイズの決勝の舞台としても知られている。
ビジネスと文化の両面で大きな成果を上げたパンナムは、戦後の米国経済の強さを象徴する存在であり、航空業界の発展に大きく貢献した「世界のフラッグキャリア」と呼ぶにふさわしいエアラインだったといえる。