長崎・熊本・鹿児島の「この場所」に、なぜ橋を作らないのか?

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「三県架橋」構想は、天草の交通アクセスを劇的に改善し、経済活動を促進する鍵となる。歴史的文化が根付く天草市は、漁業や商業が活発だが交通の不便さが課題。橋の建設により、観光客の増加や地元産品の流通が期待され、地域経済のさらなる発展が見込まれる。

交通手段の大転換

牛深市街地の繁華街だったエリアは、ほぼ廃墟となっている。2020年撮影(画像:碓井益男)
牛深市街地の繁華街だったエリアは、ほぼ廃墟となっている。2020年撮影(画像:碓井益男)

 天草五橋が開通しても、すぐに航路が激減することはなかった。それは、島内の道路整備がまだ不十分だったからだ。開通直後の現地を描いた記事には、次のように記されている。

「橋を渡ると、そこから大矢野島縦断ハイウェーがはじまる。十数キロ走ると二号橋にさしかかる。この二号橋から五号橋までは、つぎつぎに現れて、去っていく。上島の入り口、松島町の合津港の家並みが望まれると、もう夢の架け橋天草五橋は終わりである。舗装道路ともここでお別れ。あとは上島の北岸沿いに35キロ余りのデコボコ道が続いている」(『週刊読売』1967年3月10日号)

 特に牛深では、天草五橋に到達するまでの距離が遠く、

・本渡(ほんど、熊本県)
・水俣(熊本県)
・阿久根(あくね、鹿児島県)

などの航路は開通後も活発だった。しかし、天草五橋が開通した後、島内の道路整備は急速に進んだ。1974(昭和49)年には、上島と下島を結ぶ天草瀬戸大橋が開通し、同時に道路事情も改善されたことで、主要な交通手段が船から自動車へと転換された。その結果、1974年には牛深~阿久根航路が廃止され、水俣航路も2006(平成18)年に廃止された。

 現在残っているのは、国道389号の海上国道として機能している牛深~蔵之元航路だけだ。こうして道路でつながり、航路が失われたことで、天草諸島は長崎・鹿児島両県とのつながりが薄れ、熊本県とのつながりが強化されていった。

 しかし、熊本県以外とのつながりを維持しようとする動きも続いていた。1991年には、長崎から高浜港経由で鹿児島県西部の串木野を結ぶ高速船航路が開設された。この航路は高浜港と長崎港を1時間で結び、1日2便運行される予定だったが、住民からの期待は大きかったものの、年間1万人を見込んでいた乗客数は実際には500人程度にとどまり、1995年には休航を余儀なくされた。

 富岡~茂木航路は長崎市内への通院などの目的で維持されてきたが、2011年にはフェリーから高速船に移行し、2013年10月には運航会社が撤退する危機に直面した。しかし、翌2014年3月に地元漁業者11人が出資して新会社を設立し、航路を復活させて現在に至っている。

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