長崎・熊本・鹿児島の「この場所」に、なぜ橋を作らないのか?

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「三県架橋」構想は、天草の交通アクセスを劇的に改善し、経済活動を促進する鍵となる。歴史的文化が根付く天草市は、漁業や商業が活発だが交通の不便さが課題。橋の建設により、観光客の増加や地元産品の流通が期待され、地域経済のさらなる発展が見込まれる。

天草諸島の行政区再編

海産物は島内で豊富に流通している。2020年撮影(画像:碓井益男)
海産物は島内で豊富に流通している。2020年撮影(画像:碓井益男)

 この地理的・歴史的背景は、天草諸島の行政区分にも大きな影響を与えた。1871(明治4)年に廃藩置県が行われた。

 廃藩置県とはは明治政府が実施した行政制度改革の一環で、日本全国の藩を廃止し、新たに県を設置した政策を指す。この改革によって、約300の藩が廃止され、代わりに47の県が設けられた。

 その結果、天草諸島は一度長崎県に編入された。これは江戸時代から続く長崎との強い結びつきを反映したものである。しかし、その後の行政区画の再編により、肥後国天草郡の地域は八代県を経て最終的に熊本県に編入され、薩摩国出水郡に属していた地域は鹿児島県に編入された。

 行政上は熊本県に編入された天草諸島だが、長年培われた

「長崎や鹿児島との結びつき」

は簡単には薄れなかった。実際、天草諸島が熊本県との関係を深め、現在のような一体性を形成するまでにはかなりの時間がかかった。

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