「運転しかできないくせに」 タクシードライバーを平気で“職業差別”する人たちに欠けた現状認識力、彼らはエッセンシャルワーカーである
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横山やすし事件に見ることの根深さ

文化人類学者・斗鬼正一(とき まさかず)氏の「東京オリンピックと日本人のアイデンティティー1964年東京大会と首都美化運動、マナーキャンペーン」(『江戸川大学紀要』28号)にはこんな一節がある。
「当時の日本の、とりわけ東京のタクシーは外国人から「神風タクシー」と呼ばれ恐れられていた。つまりマナー以前に、法規も守らぬ乱暴、危険な運転で爆走し、客を選り好みする乗車拒否、挨拶も返事もしないで遠回りするなどと、極めて評判が悪かった。日雇い、ハンドル貸しといった運転手も多く、業界自身が「雲助運転手」つまり札付き悪質運転手が3,000人いると自認していたほどである。こうした状況に対して、警視庁は1964年2月乗車拒否集中取り締まりと特別パトロールを実施し、オリンピック期間中も悪質タクシー絶滅をめざすとしているが、「雲助運転手」を紹介した1964年3月16日の朝日新聞社説の題名が「外人客をむかえる準備」というものであることからもわかるように、こうした取り締まりも、外国人の目を強く意識したものだったのである」
東京オリンピックを契機として、社会の浄化が推進され、悪質なタクシー運転手が減少した。しかし、雲助という言葉だけは残った。そして、この言葉は次第にタクシー運転手全体をさげすむ差別的な表現として使われるようになった。
1977(昭和52)年には、当時の人気お笑い芸人の横山やすし氏が、タクシー運転手を
「駕籠かき雲助」
呼ばわりして物議を醸したことがある。運転手から侮辱罪で訴えられた横山氏は、刑事事件としては不起訴となったものの、民事訴訟で10万円の慰謝料支払いを命じられている。この事件からも、雲助という言葉が職業差別的な意味合いを持つことが広く知られていたことがわかる。
横山氏自身が「怒るで、しかし」と責められるような行動をとっていたのだ。かつて「河原乞食」と呼ばれ、同じく差別されていた芸人がこのような発言をすること自体、問題の根深さを物語っている。ブルーハーツ「トレイントレイン」の歌詞を思い出す。
さて、そのような事件が起きても、この言葉を使うべきではないという意識は広がらなかった。現に1980年代に入っても、マスメディアでは雲助という言葉を無自覚に使っている。例えば『朝日新聞』1985年12月21日付夕刊に掲載された
「NYの雲助タクシーにご用心」
という見出しの記事では、ニューヨークで横行する日本人狙いのぼったくりタクシーの話題を取り上げている。この記事中では雲助が繰り返し使われている。つまり、この時点では問題点を指摘する声は皆無に近く、まだ左派色の強かった当時の『朝日新聞』ですら使っていたのだ。