東京郊外の雑木林が「国立大学の街」に豹変した根本理由──西武グループ創業者の学園都市構想を考える

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中央線沿線の計画都市・国立。大学誘致をめぐる堤康次郎の“50万坪の賭け”と、大泉と国立の両面作戦。その舞台裏には、鉄道開発と不動産分譲が交錯する都市成長の原点がある。駅名が市名となった稀有な街の形成史をひも解く。

歴史と現代が織りなす国立の風景

国立駅(画像:写真AC)
国立駅(画像:写真AC)

 東京都多摩地域中部に位置する国立市。市内には北から順に中央線、南武線、甲州街道、国道20号(日野バイパス)が東西に走る。国立駅南口から南武線・谷保駅にかけては「大学通り」が伸び、一橋大学や並木道が街の象徴となっている。

 旧名の谷保(やぼ)村時代は、豊富な湧水と谷保天満宮の存在により谷保地区が中心だった。甲州街道もかつてこの地域を経由し、多摩川を渡っていた。現在も地形や神社にその名残が見られる。近年は段丘下でも宅地開発が進み、住宅地が拡大している。

 現代の国立市は計画的に整備された都市構造が特徴だ。碁盤目状の道路網と、駅から南へ直線に伸びる大学通りが都市景観の骨格を形成している。市域の大部分は住宅地で占められ、緑地保全や建築物の高さ制限などの条例により落ち着いた住環境が維持されている。

 人口密度は比較的高いが、公共施設や文化施設が市内にバランスよく配置され、効率的な都市構造を実現している。教育や福祉にも力を入れ、地域に根ざした図書館や市民活動も盛んだ。こうしたまちづくりの姿勢が、「国立」という地名の由来と結びつき、独自の都市ブランドを築いている。

 国立市は「合成地名」の代表例でもある。複数の地名から一部の文字を取り、新たに名付けられた地名で、市町村合併時によく用いられる。東京都内では、大森区と蒲田区の合併で誕生した大田区や、昭和町と拝島村の合併で生まれた昭島市などが該当する。

 ただし国立市の場合は例外だ。合併によるものではなく、隣接する国分寺と立川から一文字ずつ取って名付けられた珍しいケースである。

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