横須賀と山口百恵 “米軍の街”で育った伝説の歌姫、そのストーリーとは【連載】移動と文化の交差点(1)
4歳からデビューするまで横須賀に住んでいた山口百恵。その歴史を振り返る。
横須賀の記憶と変わるまち並み

さて、横須賀の人が「これっきり坂」と呼んでいる坂道が、横須賀中央駅で右に折れ、しばらく歩くとそこに続く道に出る。平和中央公園へと続く「急な坂道」の車道が「これっきり坂」である。歌詞に出てくる「これっきり」にちなんでいる。
平和中央公園はかつて中央公園と呼ばれていたはずだ。この公園は整備され、それにともない名称も変更されたらしい。この公園は、旧日本陸軍の砲台跡に造られた都市公園である。横須賀港が一望できる。晴れた日の眺めは素晴らしい。
番組のなかで、山口百恵は狭い石段の坂を登っていく。この坂はいったいどこにあるのだろう。横須賀は坂のまちだ。実は筆者、なぜか横須賀に縁があり、2022年は横須賀市のふたつの委員会の委員に任命された。その前は、横須賀市のいわゆるコンテンツマップを作る仕事もしていた。
しばらく横須賀を訪れていなかったが、番組を見て、横須賀に時間旅行ができた気分になった。1980(昭和55)年に出版された自伝『蒼い時』の冒頭でも、横須賀への思いを吐露している。小学校2年生から中学2年生までの6年間を過ごしただけなのに、特別な存在のまちだと述べている。
確かに、横須賀は1970年代後半から大きく変わった。エックスジャパンのヒデゆかりのヤジマレコードは廃業し、一時は撤退を表明したさいか屋もなんとか規模を縮小し、存続の方向に向かった。さいか屋の近くに高層マンションが建った。ふと、中心地は1991(平成3)年に公開された北野武監督の映画『あの夏いちばん静かな海』のロケ地にもなったことを思い出した。
ともあれ、新年である。2024年はコンテンツを巡る時間旅行にしばしば出掛けてみたいものだ。