横須賀と山口百恵 “米軍の街”で育った伝説の歌姫、そのストーリーとは【連載】移動と文化の交差点(1)
まちの変遷、風景と人

現在の横須賀駅は1面2線で、うち1線は行き止まりになっており、残りの1線は久里浜方面へ向かっている。ホームからは有刺鉄線の向こうに海上自衛隊の軍艦が見える。駅自体は大船駅から延長され、1889(明治22)年に開業した。なお、横須賀中央駅の開業は1930(昭和5)年である。
駅の当初の目的は、横須賀鎮守府へのアクセスと横須賀港への物資輸送だった。現在の駅舎は1940年に建てられたもので、ホームから改札口までフラットに設計されており、階段のない駅としても知られている。
戦後は米海軍横須賀基地への物資輸送に使われ、1980年頃には貨物輸送の役割を終え、貨物駅は廃止された。跡地は横須賀市の公共施設や高層住宅の開発に利用されたが、貨物鉄道時代の名残が側線として残っている。
改札口を抜けて駅舎を出るとロータリーがあり、さらに進むとヴェルニー公園に出る。この臨海公園は、旧横須賀製鉄所の建設に貢献したフランス人技師にちなんで名づけられた。この公園がかつての製鉄所の跡地である。公園を過ぎると、かつてダイエーだった「コースカベイサイドストアーズ」というショッピングモールがあり、右手には京浜急行の汐入駅がある。
前述の番組では山口百恵がどぶ板通りを歩くシーンも出てくる。今でこそ平日の人通りはまばらだが、番組のなかのどぶ板通りはネオンサインや看板を掲げた飲食店や人でにぎわっている。朝鮮戦争やベトナム戦争時には夜な夜な米兵でにぎわったこのかいわいも、今では沈滞した様相を呈している。1979年といえば、まだバブルの助走期である。
横須賀は日本のなかでも“特殊なまち”だ。東京でさえ、制服姿の軍人に出会うことはまれである。この点は、他国と比べた日本の独自性を反映している。しかし、横須賀は違う。横須賀のまちには
・米軍
・海上自衛隊
・防衛大学校
の制服が目につく。しかし、現在の横須賀は米軍のまちである。日常生活では、日本人は米軍基地に勝手に入ることはできない。つまり、横須賀はまちのなかに米国がある――といった捉え方もできる。
どぶ板通りを抜ければ、京浜急行の横須賀中央駅まではすぐだ。三笠通りという商店街があり、前長180mの4階建ての三笠ビルの店舗が中心になっている。アーケードが続くこの商店街を抜けていくのが乙である。
横須賀中央駅に向かって左側が三笠ビル、右側が崖沿いの商店街だ。途中、右手にガラス戸があり、そこから伸びる石段を登ると豊川稲荷だ。ある意味、不思議な商店街である。