横須賀と山口百恵 “米軍の街”で育った伝説の歌姫、そのストーリーとは【連載】移動と文化の交差点(1)
4歳からデビューするまで横須賀に住んでいた山口百恵。その歴史を振り返る。
山口百恵と横須賀

元旦に能登半島で大地震が発生し、翌日には羽田空港で日航機と海保機が衝突、その翌々日には北九州の商店街で火災が発生するなど、2024年は波乱の幕開けとなった。
写真家の篠山紀信さんが83歳で亡くなったという訃報も入った。享年83歳だった。筆者(増淵敏之、文化地理学者)の青春時代、彼の作品は「激写」と評され、多くの話題を呼んだ。
記憶に新しいのは、14歳でデビュー、21歳で引退し、結婚までの7年間で数々のヒット曲を飛ばした山口百恵だ。今でも語り継がれる伝説の歌手である。女優としての活躍も記憶に新しい。
彼女は小学2年生から中学生でデビューするまで横須賀に住んでいた。代表的なヒット曲「横須賀ストーリー」は横須賀が舞台であり、今でも京浜急行横須賀中央駅の列車接近音にそのメロディーが使われている。また、作詞家として楽曲提供も行っており、「横須賀恵」というペンネームも使っている。
1979(昭和54)年に「NHKスペシャル 山口百恵激写/篠山紀信」という番組が放送された。篠山紀信が撮影した1000枚以上の山口百恵の写真で構成されている。翌年、彼女は引退し、結婚した。番組はNHKのアーカイブスで全編見ることができる。
映像のバックに「横須賀ストーリー」が流れる。冒頭はJR横須賀線の横須賀駅から始まるが、途中で走り去る京浜急行の電車と一緒に走る彼女の映像が挿入される。このシーンで、彼女はまだ自動改札になっていない改札口を通ってまちに出ている。現在は横須賀中央駅が中心なので、多くの人にはJR横須賀駅はあまりなじみのない駅かもしれない。