「B29を竹槍で落とせ」 東條英機は本当に“精神主義”の権化だったのか? その実像をひも解く
旧日本陸軍の精神主義を象徴する人物という印象が強い東條英機。その固定化されたイメージをひも解く。
東條英機の意外な一面

東條英機といえば、旧日本陸軍の精神主義を象徴する人物という印象が強いかもしれない。
実際、1944(昭和19)年5月には航空士官学校において、「敵機は精神で墜とすのである。したがって機関砲でも墜ちない場合は、体当たり攻撃を敢行してでも撃墜するのである」との訓示を残している。
今回紹介する、一ノ瀬俊也『東條英機 「独裁者」を演じた男』(文春新書)は、こうしたイメージの一端を覆すものになる。東條は早くから航空戦力の重要性を指摘しており、戦争中も航空機の増産のために参謀本部と対立していた。必ずしも
「竹槍でB29を落とせ」
というような人物ではなかったのである。
本書を読んで、まず注目させられるのが東條の生い立ちである。東條は1884(明治17)年に東京で生まれている。父は陸軍軍人である東條英教(ひでのり)、陸軍大学校(陸大)の一期生として首席で卒業し、ドイツへ留学して参謀本部に配属されるという輝かしい経歴の持ち主だった。
しかし、1899年に後ろ盾であった川上操六が死去すると、英教は冷遇されるようになる。参謀本部第四部長(戦史編纂)だった英教は、上司で参謀次長の寺内正毅と対立する。ここは親友の井口省吾のとりなしでなんとかなったものの、韓国守備旅団長の時代に韓国駐箚軍司令官長谷川好道と衝突し、1907年に英教は予備役編入となっている。
寺内も長谷川も陸軍の主流であった長州出身であり、英教、そして息子の英機には長州閥への悪感情が残ったと考えられる。