B-29爆撃機が執拗に「多摩エリア」を狙いつくした理由

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B-29爆撃機は1944年11月、最初の攻撃対象として現在の東京都武蔵野市を選んだ。その後も多摩地域を執拗(しつよう)な空襲で襲った。いったいなぜか。

米軍が武蔵野市を狙ったワケ

B-29爆撃機(画像:米空軍)
B-29爆撃機(画像:米空軍)

 1944(昭和19)年6月、米軍はサイパン島を奪取してイスリー基地を整備すると、ここからB-29による日本への大規模な空襲を始めた。

 1944年11月24日、イスリー基地から発進したB-29の最初の目標として選ばれたのが東京都北多摩郡武蔵野町(現在の武蔵野市)だった(B-29による空襲という点では中国を出撃拠点にした北九州への空襲が同年6月に行われている)。

 その後も東京の多摩地域は執拗(しつよう)な空襲にさらされるが、その理由を教えてくれるのが、今回紹介する鈴木芳行『首都防空網と〈空都〉多摩』(吉川弘文館)である。

 本書のタイトルにある「空都」とは耳慣れない言葉であるが、陸軍の師団が置かれた都市を軍都、海軍の鎮守府などが置かれた場所を軍港と呼ぶのに対して、

「航空部隊が常駐する飛行場を中心とした防空軍事都市」

を本書では「空都」と呼んでいる。

 サイパンから飛び立ったB-29の最初のターゲットが現在の武蔵野市であったのは、そこに中島飛行機武蔵製作所があったからだが、当時の多摩地域にはほかにも飛行場や航空機関連の工場が集中していた。

 多摩地域にあった主な軍事施設と航空機工場として、本書の3~4ページには

・武蔵野市:中島飛行機武蔵製作所
・調布市:調布飛行場
・府中市:陸軍燃料廠
・立川市:立川飛行場、立川陸軍航空廠、陸軍航空工廠、立川飛行機立川工場、立川飛行機砂川工場
・東大和市:日立航空機立川工場
・武蔵村山市:村山飛行場
・昭島市:昭和飛行機工業
・福生市:多摩飛行場
・八王子市:中島飛行機浅川地下工場

があげられている。

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