織田信長の撤退路に使われた「鯖街道」 そのユニークな名前の由来をご存じか【連載】江戸モビリティーズのまなざし(14)
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江戸時代の都市における経済活動と移動(モビリティ)に焦点を当て、新しい視点からそのダイナミクスを考察する。
「鯖街道」とは何か
旧若狭国(福井県)小浜から京都の大原まで続く若狭街道と朽木街道は、現在は総称して「鯖街道」と呼ばれる。国道27号および367号の一部だ。日本海と京都をつなぐ往来文化遺産群として、日本遺産に登録されている。
鯖街道の名は、若狭湾で捕れた魚介を京都まで運搬する物流の道であり、とりわけ鯖を多く運んだことに由来する。
かつて冷凍保存の技術がなかった時代は、足が早い(鮮度が長持ちしない)鯖に塩をふって締め、行商人が一昼夜かけて歩いて京都まで運んだ。
「京は遠(とお)ても十八里」(一里=約4kmとして72km)
であり、着く頃にはちょうどいい塩加減になっていた。
「生鯖塩して担い京へ行き仕る」
明治時代の記録『市場仲買文書』にも、
「生鯖塩して担い京へ行き仕る」
との記載がある。若狭と京都のつながりは、近世に至るまで、長い歴史を持っていた。
鯖の加工技術が発達し、江戸時代中期にはぬか漬けにした鯖が一般にまで広がった。それが「へしこ」だ。現在も福井県の郷土料理として親しまれている。
複数のルートがある「鯖街道」
小浜のある福井県南西部は、旧国名を若狭(わかさ)という。
平安時代に編纂された法令集『延喜式(えんぎしき)』は、若狭を「御食国(みけつくに)」と記す。京都の朝廷に海産物を献上した地という意味である。
小浜市のいづみ町商店街には、「さば街道起点の地」のレリーフがあり、写真を撮ってSNSにアップする観光客も少なくない。
なお、鯖街道は小浜から今津を通過し、西近江路に出て京都に至る道、または若狭街道の西にある針畑峠を越えるなど、広義には複数のルートがある。
だが、ここでは最も頻繁に人が往来していたという熊川・朽木を抜ける道を、代表的なものとして話を進めたい。