相鉄はかつて「国防」に関わっていた? 背景にあったのは会社を支え続けた「砂利販売業」だった

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相模グループはかつて砂利販売業と大きな関わりがあった。その砂利は国防にも貢献してきた。

乗り入れ前まで低かった知名度

相模鉄道(画像:写真AC)
相模鉄道(画像:写真AC)

 相模鉄道(相鉄)と東急電鉄(東急)は3月18日、直通運転を開始する。

 長らく相模鉄道は横浜駅をターミナルにし、旅客運転では他社線との乗り入れをしてこなかった。業界団体によって大手私鉄と位置付けられているが、神奈川県外で相鉄の電車を見ることはなかったこともあり、東京圏での知名度も決して高くなかった。

 相鉄の認知度が広がるきっかけは、2019年11月にJR線との直通運転を開始したことだった。JRとの直通運転により、相鉄の電車が大崎駅から埼京線へと乗り入れるようになり、渋谷駅や新宿駅でも相鉄の電車を目にするようになる。

 このほど相鉄は東急とも直通運転を開始し、相鉄の電車は新横浜駅を経由して東横線へと乗り入れ、渋谷駅まで走る。これにより、相鉄の電車を目にする機会はさらに増えるだろう。

 相互乗り入れを始めることで相鉄・東急2社の関係は、これまで以上に密接になることが予想される。しかし、相鉄・東急は以前から浅からぬ縁があった。それは、太平洋戦争が激しくなってきた1945(昭和20)年6月までさかのぼる。

運行を東急へ委託した相鉄

東急東横線(画像:写真AC)
東急東横線(画像:写真AC)

 戦火が激しくなると、日本全体が物資・燃料不足に直面した。不要不急の移動は制限され、同時に鉄道会社も運行を制限されることになった。

 鉄道会社も運転士・車掌・駅員のほか線路や車両のメンテナンスをする作業員が不足。さらに車両なども不足しており、列車を思うように運行することが困難になっていた。そうした事態に直面した相鉄は、自前で鉄道を運行・維持することを諦め、東急に経営を委託した。

 当時の東急は、現在の東急電鉄ではなく、

・目黒蒲田電鉄(現・東急目黒線と東急多摩川線)
・東横電鉄(現・東急東横線)
・小田原急行鉄道(現・小田急電鉄)
・京王電気軌道
・帝都電鉄

などが合同した私鉄で、現在の東急と区別するために大東急とも呼ばれる。

 多くの鉄道会社を統合して誕生した大東急は、当然ながら多数の職員が在籍し、車両数も豊富だった。そうした背景から、相鉄が東急に運行を委託することになる。

 相鉄は鉄道の運行を大東急へと委託したが、他方で相鉄が副業として手がけていた砂利採取・販売業は直営で続けられた。

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