第1次大戦 ドイツ軍のフランス侵攻作戦計画はなぜ失敗したのか? 背後にあったロジスティクスへの認識不足とは

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ウクライナ侵攻以降、一般的に知られるようになった「軍事ロジスティクス」。今回は、第1次世界大戦シュリーフェン計画をめぐるロジスティクスについて考える。

計画に内在する問題

ドレスデンにあるドイツ連邦軍軍事史博物館(画像:写真AC)
ドレスデンにあるドイツ連邦軍軍事史博物館(画像:写真AC)

 確かに、クレフェルトも言及しているようにシュリーフェン計画が内包するロジスティクスをめぐる問題については、例えば既に1906年には、当時のドイツ陸軍参謀本部鉄道局長であるウィルヘルム・グレーナーなどが疑問視していた。

 グレーナーの端的な結論は、シュリーフェン計画には成功の可能性がないとするものであった。なぜなら、侵攻があまりにも急速なため、ロジスティクス担当の部隊がベルギーからフランスに至るまでの大規模なドイツ軍の糧食、そして武器弾薬を維持することなど不可能と考えられたからである。

 したがって、全ては鉄道の正常な運行に依存することになり、仮に鉄道が完全に破壊されれば大きな問題が生じるであろう、とグレーナーは、あたかも第1次世界大戦の緒戦の様相を正確に予測していたかのような懸念を表明していた。実際、例えばベルギー国内の鉄道網は、同国軍の破壊工作(サボタージュ)によって切断されたのである。

 つまり、イギリスの戦略思想家バジル・ヘンリー・リデルハートが鋭く指摘したように、

「シュリーフェンによって計画された作戦の大きさと大胆さは、ナポレオン時代には可能であった。また、次の世代であれば、自動車輸送部隊がそれを可能にしたであろう。だが、1914年のドイツ軍の規模と重量は、利用可能な輸送手段に全く釣り合っていなかった」

のである。

 同様にリデルハートは、

「1914年以降、人馬に必要な食糧は野戦軍が求める全ての補給物資の内の一部、それも通常はごく一部分を占めるにすぎなかった。まさにこの理由のため、軍隊の必要物資の大部分を現地で調達することはもはや不可能になった」

と、総力戦へと向かいつつあった当時の戦争の様相の変化について的確に記している。

第1次世界大戦の衝撃

ドイツ軍の砲塔(画像:写真AC)
ドイツ軍の砲塔(画像:写真AC)

 戦争の歴史の代名詞とも言える「略奪」の歴史が、1914年の第1次世界大戦を契機として消滅したのは、前線での消費量が膨大になった結果、補給物資を現地で調達することが不可能になったとするのが、『補給戦』で新たに加筆された補遺でのクレフェルトの結論であり、これはリデルハートの評価と同じである。

 つまり『補給戦』は、ロジスティクスの歴史の最も重要な転換点が、ナポレオン・ボナパルトに関係する1789年でもなく、鉄道の登場やドイツ陸軍参謀総長ヘルムート・フォン・モルトケ(大モルトケ)の活躍を伴った1859~1871年でもなく、1914年の第1次世界大戦であったとの独自の見解を展開したのである。

 かつてある歴史家は、

「1918年、第1次世界大戦が終結(=休戦)した時期に戦場に立った兵士は、1991年の湾岸戦争を見てもさほど違和感を抱かないであろうが、1914年、この大戦が発生した年に戦場に立っていた兵士は、1918年の戦場を見るとその違いに驚愕(きょうがく)するであろう」

と述べたが、確かに第1次世界大戦は、それほどまでに開戦時と休戦時とでは戦争の様相が一変したのであり、こうした変化がロジスティクスの側面に及ぼした影響も大きかったのである。

 繰り返すが、戦争の歴史の代名詞とも言える「略奪」が1914年の第1次世界大戦を契機として消滅したのは、前線での消費量――とりわけ高度の技術が必要とされる武器や弾薬――が膨大になった結果、補給物資を現地で調達することなど不可能になったからである。

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