トラックユーザーから「メーカー企業」へ大転身! 乗りやすさを追求した男たちの数奇な運命とは

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日本の流通トラックの成功例としては、オート三輪や軽貨物車などが挙げられる。ではアメリカの場合はどうか。トラック輸送大国らしい誕生の仕方をしたふたつのメーカーを紹介しよう。

運送会社、自社向けのトラック製造へ

1942年型フレイトライナー。母体となった運送会社であるコンソリデーテッド・フレイトウェイズで使われていた最初期生産モデル。この時代、キャブオーバー型のトレーラートラクタは極めてレアだった(画像:矢吹明紀)
1942年型フレイトライナー。母体となった運送会社であるコンソリデーテッド・フレイトウェイズで使われていた最初期生産モデル。この時代、キャブオーバー型のトレーラートラクタは極めてレアだった(画像:矢吹明紀)

 さて、もうひとつのトラックメーカーの話である。

 こちらの会社の母体となったのはアメリカ西海岸のワシントン州とオレゴン州をメインに活動していた運送会社のコンソリデーテッド・フレイトウェイズだった。

 1930年代半ば、業績が伸び始めていたこの会社の経営陣にとっての悩みは、経営規模が拡大するに従って、輸送用トラックの運用コストが際限なく増大していたことである。

 この分野でのコストダウンのためには、使用するトラックの種類をできるだけ少なくし、整備体制も自社内とするのが好ましいという経営判断の下、さらに一歩進めて自社の営業形態に合ったトラックそのものを製造することを目指して動き出すこととなった。

 ここで経営陣が注目したのは、くしくも前述したピーターマンと同じくファジールだった。林業と運送業、営業形態こそ異なっていたものの、この時代のアメリカ西海岸で、ファジールという現代では忘れ去られているトラックの存在がいかに大きかったかが推測できるエピソードである。

 コンソリデーテッド・フレイトウェイズも当初はファジールの買収を画策したと言われているが、結局のところ複数社による激しい買収合戦にくみすることなく、入手した実車をベースに独自開発する道を選択した。

 ユニークだったのはいかにも運送会社らしく、カサ物輸送に優れた広い荷台が確保できるキャブオーバーデザインに早くから注目していたということである。

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