トラックユーザーから「メーカー企業」へ大転身! 乗りやすさを追求した男たちの数奇な運命とは
日本の流通トラックの成功例としては、オート三輪や軽貨物車などが挙げられる。ではアメリカの場合はどうか。トラック輸送大国らしい誕生の仕方をしたふたつのメーカーを紹介しよう。
経営危機メーカーの買収を画策した男
時は1939年、カリフォルニア州やワシントン州といったアメリカ西海岸を舞台に林業および製材業を広く展開していたやり手のビジネスマン、T.A.ピーターマンにはある悩みがあった。
彼の主戦場たるアメリカ西海岸の森林地帯は、林道の整備状況こそ1930年代に入り大幅に改善していた一方、そこで使用するトラックの品質が、重作業化の一途をたどっていた作業環境についていけず、慢性的なトラブルと稼働率不足に直面していた。
ピーターマンが好んで使用していたトラックは、カリフォルニア州オークランドにファクトリーを構えていたファジール製の物が多かった。
だがファジールは、製造時の品質と性能に優れていたものの、財務基盤が脆弱だったことに起因する慢性的経営難、ひいては保守整備体制の弱体化と部品供給の不安定さに加え、会社としての起死回生を賭けたバス製造事業に失敗し、会社はまさに風前の灯火状態となっていた。
このままではトラックの供給先を失いかねない危機をクリアするため、ピーターマンが決心したのはファジールの買収とその立て直しだった。
こうして1939年中にピーターマンによるファジールの買収工作はスタートした。しかし、この当時ファジールに食指を伸ばしていたのはピーターマンだけではなく、ほぼ同時期に東海岸をメインに事業を展開していた中堅トラックメーカーのスターリングも、西海岸への進出の足掛かりとしてファジールの買収を画策していた。
激しい買収合戦の末、勝利を収めたのはスターリング。しかし最終的に粘り腰を見せたのはピーターマンであり、その優れた資本力をバックにスターリングから買収直後のファジールを再買収するという離れ業を見せたのである。