「ANAだと思って乗ったのに」わずか2年で消えた新ブランドの教訓――LCC再編とブランド戦略の課題とは

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2024年に運航を始めたエアージャパンがわずか2年で終了した背景を軸に、機材調達の難しさやブランド設計の課題、LCCとフルサービスの境目が薄れる世界的な流れ、さらに航空業界の次の競争軸が機材開発へ移りつつある現状を、国内外の事例とともに追う。ユナイテッド航空CEOの発言やサウスウエスト航空の変化、ZIPAIRや新興機体メーカーの動きも交え、業界転換の全体像を描く。

運航体制見直しの背景

筆者が当日撮影した様子(画像:前林広樹)
筆者が当日撮影した様子(画像:前林広樹)

 ではなぜエアージャパンはわずか2年で運航終了という形になったのか――大きな理由としては、ウクライナ戦争やボーイング社の納入遅れによる機材や部品の確保の難しさを踏まえた運航体制の見直しが挙げられている。ただ筆者としては、それに加えてエアージャパンという名前そのものの課題もあったと見る。

 まず、狙いとしていた利用者像と実際の路線運営との間に差があった点である。立ち上げ当初の報道を見ると、「アジアからの訪日客」を意識したブランドとして語られていた印象が強い。しかし実際に訪日客を十分に取り込めていたかというと疑問が残る。前述のソウル便では搭乗率自体は悪くなかったものの、利用者の多くは

「若い日本人客」

で占められていた。韓国という目的地がLCCの競争が激しい市場であることを考えればやむを得ない面もあるが、訪日客を主に狙うのであれば別の路線選びも考えられたのではないかという印象が残る。また、仁川国際空港で入国審査を待つ間には、

「本日がラストフライトといっていたけど、何のラストなのかわからない」
「エアージャパンはどこの子会社だったかわからない」
「ラストフライトというわりにはあっさりしていた」

といった声も耳にした。実際には、その後のバンコク線で道廣直幹運航部長によるあいさつが行われるなど、最終運航に向けた行事は用意されていた。それでも最終便の段階でこうした受け止めが出ていたことは、エアージャパンが

「独立したブランドとして十分に認知されていなかった」

ことを示している。結果として、ブランドの存在感そのものに課題があったといわざるを得ない。

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