「オッサンが軽自動車に乗ってたら恥ずかしいですか?」 20~30代女性の4割が示した“拒絶”と、実利を重んじる価値観の地殻変動

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軽自動車は2025年に約3190万台と国内保有の4割に迫る一方、税制や安全評価は旧来基準にとどまる。電動化と所有観の変化が進む中、「恥」の感覚は合理性の議論へと姿を変えつつある。

軽の合理性と物理的限界

軽自動車のイメージ(画像:写真AC)
軽自動車のイメージ(画像:写真AC)

「軽で十分」という言葉の響きには、どうしても見過ごせない危うさがつきまとう。どれほど技術が進んでも物理の法則は曲げられず、衝突時の衝撃の強さは、互いの重さに大きく左右されるからだ。試験場での評価がどれほど横並びであっても、いざ路上で重い車と軽い車がぶつかれば、物理的な理屈として、軽い側がより大きなダメージを負うことになる。

 ある回答者は、重いトラックに追突された妻の車の無惨な姿を目の当たりにして以来、運転が怖くなったと漏らす。

「車体の骨組みまで歪み、廃車にするしかなかった」

という。たとえ高強度の鋼材を多用したとしても、車体の厚みや質量の絶対的な差を埋めるには限界がある。現在の安全試験はあらかじめ決められた一定の条件で行われるため、その枠内では高い数字が出ることもある。しかし、現実の事故には決まった形などない。

「試験はあくまで同じ条件。だが、実際の衝突には常に相手がいる」

というコメントのとおり、現場では逃れようのない質量差が、そのまま被害の大きさに直結してしまう。

 大型スポーツタイプ多目的車(SUV)と軽自動車の車重の開きがかつてないほど広がるなかで、道路上の安全格差もまた、確実に深まっている。維持費の安さを優先するということは、突き詰めれば、乗る人を守るための物理的な空間を削る選択でもある。この点に触れないままの利便性議論は、どこか空疎だ。

「自分や家族、同乗者の命よりも、コストや小回りを重く見ているのではないか」

という厳しい批判も、家族の安全を預かる立場からすれば、無視できない重みを持っている。

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