「オッサンが軽自動車に乗ってたら恥ずかしいですか?」 20~30代女性の4割が示した“拒絶”と、実利を重んじる価値観の地殻変動
軽自動車は2025年に約3190万台と国内保有の4割に迫る一方、税制や安全評価は旧来基準にとどまる。電動化と所有観の変化が進む中、「恥」の感覚は合理性の議論へと姿を変えつつある。
問題の本質

考えるべきは個人の見栄や感情の次元ではない。本質はむしろ、
「世界で売ることを前提にできない現実を受け止めるべきだ。安全性を高めるために車体を広げたくても、軽自動車という枠組みを超えられない」
というコメントにあるような、物理的な制約がもたらす構造的な不利にある。
さらに、命を守るための投資という観点に立てば、さらに踏み込んだ見方も浮上する。
「軽自動車を選ぶという行為は、自分や家族、同乗者の命よりも、維持費の安さや取り回しの良さを優先しているのではないか」
という厳しいコメントだ。コストや利便性を天秤にかけたとき、安全性の優先順位が相対的に下がってしまう危うさを突いている。
なぜ日本は、安全性を追求する余地を削ってまで、この狭い枠組みにしがみつき続けるのか。国内市場に過剰に適応した結果、いつの間にか世界の標準から取り残され、産業の競争力や安全に対する社会全体の意識にも歪みが生じている。
今まさに問われているのは、個人の持ち物に対する評価ではない。古い制度と、それに縛られ続ける産業のあり方がもたらした限界そのものなのだ。