「空き地で集合」はもはや死語?――ドラえもんの風景が二度と戻らない根本理由、小学生の外遊びが「45%減少」という現実
アニメに象徴される昭和型空き地は消えた。東京圏の地価が1975~1990年で商業地450.6に上昇する中、制度・資本・子どもの時間構造が重なり、都市の自由な余白はほぼ失われた現実を検証する。
空き地が消えた理由

アニメ『ドラえもん』に象徴的に描かれる空き地は、昭和の都市で日常の風景だった。だが、この場所は時代の変化で自然に消えたわけではない。制度、資本、生活時間の三つの側面から、計画的に減らされてきた結果だ。
かつて空き地に土管が置かれていたのは、インフラ資材を現場近くに置いておける余裕があったからである。当時は都市の周辺に農地転用の過渡地や用途が定まらない小規模区画があり、開発が進む前の曖昧な境界が都市の余裕を支えていた。
だが、輸送網が整備され資材は必要なときに必要な量だけ届くようになり、土地を待機用に使う必要はなくなった。在庫を土地に置くのではなく、移動するトラックに積む物流の効率化が、場所そのものの重要性を下げたのである。
東京圏の地価指数は1975(昭和50)年を100とすると、1990(平成2)年には商業地で450.6、住宅地で438.4まで上昇した。この時期、都市の価値は場所の特性より投資効率で評価されるようになった。未利用地は自由な場所ではなく、利益を生まない資産と見なされ始めた。
制度面でも、2002年に導入された再開発促進区域制度は、利用が少ない土地を有効活用することを政策として進めた。さらに空き地管理条例は2024年時点で471市区町村に広がり、土地を放置することによる経済的負担を明確化した。
2016年に実施された小学校高学年向けの調査によると、子どもの外遊び時間は1981年の2時間11分から、2016年には1時間12分まで減少している。35年間で外遊びの時間は
「45%減少」
減った(シチズン時計調べ)。空き地は供給が減っただけでなく、それを使う主体も少なくなっている。都市の余白は、土地の役割を「静止」から「流動」に変える仕組みによって着実に失われてきた。