「空き地で集合」はもはや死語?――ドラえもんの風景が二度と戻らない根本理由、小学生の外遊びが「45%減少」という現実
アニメに象徴される昭和型空き地は消えた。東京圏の地価が1975~1990年で商業地450.6に上昇する中、制度・資本・子どもの時間構造が重なり、都市の自由な余白はほぼ失われた現実を検証する。
余白の組み込み

空き地が自然に復活することを期待する段階はすでに過ぎている。必要なのは、低密度の余白を都市を支える構造のなかに能動的に組み込むことである。
都市計画に暫定的な未利用区分を設け、空き地に関する条例には公共利用を認める猶予を設けるべきである。さらに土地区画整理を行う際には、一定の余白率を確保する基準を導入する必要がある。これは都市のなかに意図的に遊びの場を確保するための政策介入だ。
不動産ファンドに余白を保持する経済的な誘因を与え、移動の拠点と遊びの場所を時間軸で使い分ける複合的な利用モデルを作ることが現実的である。具体的には、夜間は自動運転車両の充電や待機場所として収益を上げ、昼間は公認の遊び場として開放する動的な管理を導入し、資本と公共性を両立させる。土地を固定的な用途に縛るのではなく、需要に応じて機能を切り替える共有を社会に実装するのである。
小規模な土地所有者に対しては、一時的に土地を公共に貸し出す仕組みの整備が有効である。利用者も、放課後の外遊び時間を確保する制度や、住民が主体となって暫定利用を管理する体制が求められる。余白を管理不全の結果として放置するのではなく、都市を構成する重要な要素として計画的に提供する視点へと転換すべきである。