「空き地で集合」はもはや死語?――ドラえもんの風景が二度と戻らない根本理由、小学生の外遊びが「45%減少」という現実

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アニメに象徴される昭和型空き地は消えた。東京圏の地価が1975~1990年で商業地450.6に上昇する中、制度・資本・子どもの時間構造が重なり、都市の自由な余白はほぼ失われた現実を検証する。

問われるべきこと

空き地イメージ(画像:写真AC)
空き地イメージ(画像:写真AC)

 投げかけるべき問いは複雑である。核心は、なぜ空き地が減ったかという現象ではなく、経済活動が支配する都市において収益を生まない場所が制度的に存続できるのかという点にある。

 都市の効率化が進むほど、移動の妨げになる要素は排除される。しかし、その妨げこそが子どもの成長や地域のつながりを支える遊びの場になっていた。地点から地点への移動を最優先するなかで、途中にある分類されない場所で立ち止まる権利はすでに失われている。

 目的地までの移動を極限まで効率化する考え方が広がった結果、行き先を持たない滞留場所は円滑な交通を妨げる障害と見なされるようになった。幼児の外遊び時間が平均30分以下にまで減っている現状で、子どもの自由な利用場所を市場に任せたまま確保できるのか。

 都市の高密度化と余裕のある場所は両立するのか。すべての移動が予約可能なサービスとして管理されるなかで、偶発的に生まれる場所は共存できるのか。行政が用意したオープンカフェのような場所は、最初から用途が決められており、かつての空き地が持っていた無目的な性質とは根本的に異なる。これらの問いを正面から考えなければ、空き地の消失を理解することはできない。

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