葛飾区長が「失敗」宣言? 「青砥駅」の機能不全と空白30年──交通結節点が立石再開発に飲み込まれる日の現実味

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京成電鉄で1日4万8000人超が利用する主要駅・青砥は、再開発の頓挫によって駅前機能が欠落したまま取り残されている。隣駅・立石の大規模再開発が進むなか、交通拠点の役割が移る可能性も現実味を帯びる。再開発の“失敗例”とされた街は、いま岐路に立っている。

分岐駅を支えた高架化の長期工事

青砥駅周辺の様子(画像:宮田直太郎)
青砥駅周辺の様子(画像:宮田直太郎)

 青砥駅周辺は、昭和期までは農家が多い地域だった。しかし1937(昭和12)年に東洋インキ製造の青戸工場が建設され、1956年には日本住宅公団の青戸団地が完成すると、工場従業員やサラリーマンが増え、徐々に住宅地としての性格が強まった。

 青砥駅が開業したのは1928年だ。京成電鉄が日暮里へ乗り入れた際に、日暮里方面と押上方面へ分岐する拠点として位置づけられた。当時は地上駅だったが、環状7号線の整備が決まり、高架化工事が始まった。分岐構造を抱える工事は難航し、14年に及ぶ期間を経て、1986年に現在の高架駅として生まれ変わった。

 駅の利用者は多く、2024年の1日平均は4万8727人に達する。京成上野駅や京成千葉駅を上回り、京成電鉄全体で6位に入る規模だ。環状7号線の整備に合わせ、駅周辺では区画整理も進め、バスロータリーなどを整える計画もあった。

 京成線開業当初、分岐路線ができるまで駅すら存在しなかった青砥は、再開発を機に主要駅として本格的に成長するはずだった。しかし、その構想は十分には実現しなかった。

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