昭和45年、青ヶ島を揺るがした「ソ連船漂着事件」の教訓 僻地を悩ます交通インフラの遅れとは
1970(昭和45)年11月26日の18時過ぎ、東京都最小の自治体・伊豆諸島の青ヶ島にソ連船の乗組員が漂着した。この珍事を通して、交通インフラや通信環境の整備についてあらためて考えたい。
交通・通信の整備は僻地にこそ不可欠
交通インフラや通信環境の最新技術は、都市の話題のように思えるが実は過疎地や離島にこそ欠かせないものである。
例えば東京都の島しょ部である伊豆・小笠原諸島はこれらの整備によって、財政的都合からなんとなく東京都が所管している地域から、 れっきとした東京都を構成する一部となった地域といえる。
当事者にとっては不幸な出来事でしかないが、かつての伊豆・小笠原諸島は「漂流」や「国籍不明船」という、部外者にはいささかロマンを感じさせるキーワードがたびたび登場する地域であった。
幕末の偉人ジョン万次郎がアメリカへ渡り英語を学ぶきっかけが漂流だったことはよく知られている。土佐の漁船の乗組員だった万次郎は1841(天保12)年に乗っていた船が遭難し、伊豆諸島の鳥島に漂着。たまたま食糧を探して寄港した捕鯨船によって救助されたことでアメリカに渡っている。
この地域で漂流は、歴史のロマンではなく現実である。小笠原諸島の南硫黄島は発見以来、ほとんど人が上陸した例がないまま、現在は天然記念物のため原則上陸禁止となっている島である。
この島への上陸記録は、研究者を除けば漂流者に限られている。21世紀になってからも2004(平成16)年に付近を運航していたプレジャーボートが座礁し、乗船していた人が上陸して救助を待った事件が大きく報道されたことがある。